琉球の川シリーズ④ 首里城と二つの川と風水と
- 2021/3/7
- 社会
「クニンダ」が朱雀
久米といえば久米村(クニンダ)があり、久米三十六性という中国系の渡来人(閩人)が一つの街を形成していた場所である。
久米村のある一帯がまだ浮島(那覇)という離れ島だったころ、その島には松尾山という小山があった。朱雀とみなされていたのはおそらくこの松尾山で、その麓に位置していたのが久米村だったというわけだ。松尾山は現代の沖縄一の社交街「松山」の語源であろう。現在その小山跡は、松山公園という繁華街の中にあって異様な緑の空間になっている。
また、この直線上には、「波上宮」や「ミーグスク」もほぼ重なっている。朱雀の朱は朱色の「朱」。波上宮の朱色、それから波上橋の欄干一部は、波上宮からニライカナイへの妨げにならないようにと朱く塗られている。この朱、朱、朱、という繋がりも、何かしらの意味を感じてしまう。
さらに久米村からその線を海を越えてもっと先まで伸ばすと、その先には慶良間諸島がしっかりと壁の如く立ちはだかっており、慶良間を朱雀と見立てることもできる。
方位の違いに残る疑問
ただ、上の説明を読みながら実際の地図を見ると、疑問に思う人もいるかと思う。そう、四獣神の定義では「北」が「玄武」であり、「南」に「朱雀」、そして「西」に「白狐」、「東」に「青龍」となっているはずだ。
しかし実際は、首里城をポイントとして当てはめると、「北:玄武」であるはずの「弁ヶ岳」が地図上の方角で見れば首里城の東にあるではないか。しかも一般的には南を向くはずのお城の正面がなぜか西を向いているではないか。
こちらには諸説あり、未だ何が正解かは定まっていない。
例えば、琉球は太古の昔から太陽神信仰であり、ティーダ(太陽)を崇める信仰である。故に東から昇ってくる太陽は神の化身であり、神が正殿の後ろから現れパワーを振りまき西の海へと落ちていく東西基盤の造りであると。もしかするとここにこそ、琉球では西を「イリ」、東を「アガリ」、北のことを「ニシ」と呼ぶ由来に関係してくるのかもしれない。
首里城を中心とした場合、本来の北である方角が首里城にとっては西(ニシ)になる。更に本来の東は太陽が上がる「アガリ」、太陽が沈む西が「イリ」。この説でいくと本来の南は首里城の東となるのだが、それがウチナーぐちの「フェー」と何かしら関連付くのかは今後も調べていきたい。
何れにしても、首里城正面が南向きから90度回って西を向くが故に、全ての獣神の方角も90度時計回りに回って、玄武(北)は正殿の背後、西が正殿左側の虎瀬山〜末吉、東が繁多川〜識名、南が久米〜慶良間となっているのではないか。
このような様々な地形および方角も頭に入れながら川沿いを歩き、街並みを眺め、何百年も流れ続けている氣を感じながら首里散策してみると、これまでよりも一層深い首里を感じることができるだろう。