琉球の川シリーズ④  首里城と二つの川と風水と

 
首里城

 時代や景色は大きく変化しても、古から止まることなく流れ続ける川。その川に沿って歴史を辿ってみると、思いがけない発見が実はたくさんあるものだ。

 琉球の川シリーズ第四弾は、これまでにお伝えした二つの川と首里城の間に、風水思想が大きく関わっていたという知られざる話を検証と個人的推測も含めながらお届けしよう。

首里城築城と風水

 尚巴志が1429年に三山統一を果たして琉球という一王国を創り上げた時点で、首里城は既に現在の位置に存在していた。尚巴志によって浦添から首里へ遷都したという説が有力だ(察度時代既に首里に遷都したという説もある)。そこから琉球処分が行われる1879年までの約450年間、首里が琉球の王都となる。

 ある程度知られてはいるが、首里城の築城に「風水」が大きく絡んでいたことはほぼ間違いない。築城者は不明だが、「なぜ」その場所であったのか、という理由は「風水」によるところが大きいと思われる。

 ここで言う風水と言うのは、「蔵風得水」の風水であり、日本で一般的に知られているような部屋のどこに何色の物を飾りなさいとか、どこの方角に何かを置きなさいなどという簡易的なものではない。読んで字の如く「風を蓄え水を得る」ことの風水なのである。自然界の中で絶えず流動している「風」と「水」、その双方の流れから自然の「氣」を得て生活の良いエネルギーに変えていこうという考えだ。

 遥か昔から、人々が自然に恵まれ豊かに生活できる土地条件は変わっていない。山と川が着物の襟や帯の如く集落周包み込むような、いわゆる「山河襟帯」と呼ばれる土地だ。そうした地形は土壌も豊かで天災も少なく、生活が潤う。さらには外敵から守ってくれる役割も果たすのだ。

 このような自然からの知恵を、先人たちは太古の昔から知っていた。そして驚くことに、山河襟帯の条件だけではなく、そのほかにも中国的風水思想がピッタリと当てはまる場所こそが首里城と首里なのである。

閩人と風水の広まり

 三山統一から遡ること50年ほど前、中山には察度王が君臨し、大国である明との冊封関係を築き、東南アジアとの外交貿易も行うなど、国内外においてその地位を確かなものへと築き上げていた。察度の弟と言われる泰期も、明へ幾度となく進貢していたと記録されており、この頃に様々な文明が琉球へ流入してきた。

泰期の像

 また同時期には、明からの渡来人(閩人)も多く入ってきており、中国的な文化や思想、そして風水も実生活の中に取り入れられていたと考られる。 そうすると、首里城がこの頃既に、中国の風水師の指導に基づいて築城されていたと考えてもおかしくはない。実は「龍潭」も尚巴志時代に閩人であり王府政治最高顧問であった懐機の指導によって造られており、風水がしっかりと組み込まれているのだ。

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