常設展へ行こう 学芸員が語る魅力〜沖縄県立博物館・美術館 美術工芸編(2)
- 2021/1/24
- 社会
博物館や美術館の学芸員に常設展の見所や魅力を語ってもらう「常設展へ行こう」。
今回話を聞いたのは、沖縄県立博物館・美術館で美術工芸の分野の担当学芸員をしている篠原あかねさん。琉球王国時代の衣服の特徴から見えてくる当時の暮らしや、三線の歴史と型などについて、明瞭かつ朗らかな語り口で物語ってくれた。
涼しさを重視した衣服
まず篠原さんは総合展示室の一角にたたずむ3体の人形の前へ。琉球王国時代の18~19世紀、王府の役人たちが身につけていた衣服について語り出した。
「一見して特徴的なのは、帯を前面(お腹側)で結んでいるところですね。中国から輸入した絹で作っていました。あと、和服の形ではありますが、日本本土のものと違って袖の口(袂部分)が広くて開いています。これは風通しをよくするためで、『広袖』と言います」
また、当時は身分制度が確立されており、服装の色や柄などで身分や階級を区別していた。王族や士族の男性用礼服は、黄色地が最上位。紅型の衣装は王族女性の礼服で、女性の場合も最上位を意味する色は黄色とされている。「ハチマチ」と呼ばれる冠でも階級が区分された。ハチマチは一見してはあまり分からないが、木の板に布地を織り込んで巻きつけるようにして作られており、こちらも先の衣服と同様に通気性を重視しているという。
「中東やインドで使われているターバンにルーツがあって、軽量な作りになってるんですよ」
衣装の素材は主に苧麻布や芭蕉布が使われていて、こうした植物繊維の衣装は一般庶民から王族まで共通して着用していた。大きな違いは織り上げる糸の細さで、身分が上にいけばいくほど、製造工程に時間と手間がかかった繊細できめ細かい絹のような質のものを身につけていたという。上質な芭蕉布は王族が使っていた他、中国などへの貢納品としても作られた。
一方で、庶民が身につけていたものは、各家庭の敷地に植えて育てた芭蕉から糸を紡いでいたという。こうして芭蕉布が一般的に普及していた大きな理由も着用時の涼しさにあり、汗などの水分を吸収しやすく、蒸発させやすい性質を持つという。