「ライカム」の由来を知っていますか? 沖縄独特のカタカナ地名の理由とは
- 2022/4/22
- 社会
本土復帰50年の節目を前に注目を浴びるエリアがある。北中城村字ライカムだ。決して誤字や通称ではない、れっきとした住所の字名「ライカム」である。
国内でも珍しいカタカナ表記の地名はどのようにして名付けられたのか。ここにも沖縄特有の歴史が深く関わっていた。
南北に分断された村
沖縄本島中部に、北中城村と中城村という一文字しか違わない村が隣り合っていることを不思議に思ったことはないだろうか?
実はこの2村、元々は1つの「中城村」だったのだ。沖縄戦で広大な土地を米軍に接収されたことで、村内における人々の暮らしが北と南に大きく分断された。
同じ村内にも関わらず隣の字まで行くために遠回りを強いられ、公務に支障が生じるなどしたため1946年に村北部が分離して新たに北中城村が誕生したのだ。
中城にある琉球王朝時から非常に重要な位置付けだった世界遺産・中城グスクは両村を分かつ形になっている。北中城、中城村はともに近年の急成長著しく、北中城村は現在日本一人口密度の高い村、そして日本で5番目に人口の多い村でもある。
その成長の要因の一つに、横文字の名称の付いた大型ショッピングモールの存在がある。
語源は米軍施設の入り口交差点
ウチナーンチュであれば、ライカムという単語を一度は聞いたことがあるだろう。特に若い人には「イオンモール沖縄ライカム」として知られているはずだ。
また、40代以上であれば「ライカム交差点」としての名称の方が認知されているだろうし、復帰以前の方になるとライカムの語源が「Ryukyu Command」で、略して「RyCom」だと正確に答えられる方も少なくないかもしれない。
ライカムとは沖縄米軍統治下時代、この地にあった米軍司令部「Ryukyu Command Headquarters」に由来しているのだ。現在は米軍住宅エリア・プラザハウジングになっている。
当時、ライカムへの入り口交差点が「ライカム交差点」と呼ばれて親しまれ、司令部が別の基地に移転した後も交差点名はそのまま残った。