コロナ禍の大会中止 バトンは後輩に 全国強豪首里高なぎなた部

 

 コロナ禍で先を見通せない年越しとなった2021年。県内高校スポーツも去年は野球の甲子園大会や他競技でも春の全国選抜、夏のインターハイが中止となり大きな影響を受けた。中でも3年生にとっては、最後の晴れ舞台がなくなる形となった。卒業を間近に控え今何を思うのか、その思いを引き継ぐ後輩とともに首里高校なぎなた部を取材した。

なぎなた強豪県

 2m余りある長さの「なぎなた」を操るこの競技は、防具を身に着け面や胴、スネなどを打突して、一本を取り合う「試合」(団体・個人)と、仕掛け・応じに分かれた2人一組で技の切れや美しさを競い合う「演技」の2種目がある。
 沖縄は1987年(昭和62)の海邦国体開催に向けた競技力向上の取り組みが、今でも脈々と受け継がれ、小中高校の各世代や国体でも数々の全国大会優勝を誇る強豪県となっている。

 中でも県立首里高校は、団体試合で春の全国選抜大会では2016,19年と2度の優勝、夏のインターハイは2018,19年と全国2連覇。特に19年、地元沖縄で行われたインターハイ決勝は県立知念高校との県勢対決を制し、全国に沖縄の競技力の高さを示した。

3年生涙の決断

 春の選抜連覇、インターハイ3連覇を目指していた首里の3年生。しかし今年は新型コロナウイルスの影響で全国大会は中止に。それでも3年生に有終の美を飾ってほしいと、県高体連では6月に「県高校総体」の7月開催を発表した。喜びの声が上がった一方で首里高校では大学進学を希望する生徒がほとんどという状況もあり、8人の3年生は7月の県総体を待たずに受験勉強へ切り替えるメンバーが4人、県総体までなぎなたを続けるメンバーが4人と半々に分かれた。

 当時の主将で競技を継続した宮城昭奈(みやぎ あきな)さんは全員が初めての経験に戸惑い涙ながらに決断を下した思いを振り返る。
 「本当は最後まで(3年生8人)全員で県総体までやり切りたかったです。ただ強制はできないし一人ひとりの思いを尊重したかったのと、(なぎなたを)続ける、続けないはあるにしろ選んだ道で、それぞれが精一杯頑張るということは確認しました。」

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