琉球史上で最も重要な地は北中城⁉︎ 私的考察

 

 その仲順大主の墓が、これまた仲順のナスの御嶽から歩いて数分の場所にあるのだ。こちらも高台に存在し、その見晴らしの素晴らしさからも彼の高名さを感じ取ることができる。

仲順大主墓裏の舜天墓

 そして実は、仲順大主の墓の横には一本の細い脇道があり、その道を奥の方に入っていくと、そこにはまた、かなり厳かな雰囲気を醸し出すもう一つ別の墓が現れる。このお墓こそが舜天の墓ではないかという説もあるのだ。

 また南城市大里にも、舜天のお墓があると伝わる食栄森御嶽という御嶽もある。

大里にある食栄森御嶽の舜天墓

 未だどちらが舜天の墓であるという確証は得られてはいないのだが、仮に上記の仲順大主墓の後ろの墓が舜天の墓、うなじゃらうはかが義本の墓説として正しいとしてみよう。そうすると舜天、義本の墓は仲順に存在するこれらのお墓で、ナスの御嶽は墓ではなく彼らを祀るための御嶽なのかもしれない。

 となると、ん?一つ足りていない。王統2代目の舜馬順煕の墓だけが確認できないことになる。彼に関する伝承もほとんど聞こえてこず、それほど影の薄い王だったのだろうか。

 いや、実はここにこそ今回の最大ミステリーがあるのだ!先ほどの、仲順大主の墓の後ろにある墓こそが舜天の墓だと唱える説の延長なのだが、この仲順大主こそが実は「舜馬順煕」ではないのか!と。

 その謎を解く鍵は、同じく仲順エリアの中腹に位置する仲順公園にあった。

仲順公園

 公園と言っても決して広くはなく派手さもない、遊具が全く無いとは言わないが子供達が満足に楽しめるような公園ではない。広場奥にはかなりなオーラを発するこんもりとした森が居座っており、その森の手前に立派な殿(祠)が建立されている。

 この殿の中には三つの位牌が祀られているのだが、その位牌に書かれている文字をしっかり読むと驚きがある。向かって右側の位牌には「舜天」、左側の位牌には「義本」、そして真ん中の位牌にはなんと「仲順大主」と書かれているのだ!

 なぜ王に挟まれる形で「仲順大主」の位牌が祀られているのか。「舜馬順煕」の位牌だけがなぜ墓同様に存在していないのか。これらが意味するものは?

仲順公園内の位牌

 さらにこの公園の前には、ウフカーと呼ばれる集落にとってすごく神聖で大事な湧き水があるのだが、そちらの説明板には「仲順集落は元々ナスの御嶽(高台)付近にあったが、後にこの中腹の場所に移ってきた」とある。これは一体何を意味するのか!?

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