琉球史上で最も重要な地は北中城⁉︎ 私的考察

 

 戦後アメリカ軍高官向けの立派な住宅が立ち並んだことから、かつて沖縄のビバリーヒルズと呼ばれた北中城仲順の丘上に、彼らの墓と言われたり彼らを祀っていると言わたりする「ナスの御嶽」が存在し、地元でものすごく神聖な場所とされている。最近では、そのナスの御嶽を訪れる歴女の姿も見かけるようになっており、今後人々の関心度の高まりを期待させる。

 一説によっては、ナスの御嶽には舜天、舜馬順煕のみが眠っており、義本に関しては王位を英祖に譲った後に放浪して彷徨い、この仲順の地で「仲順大主」という長に匿われたであるとか、彷徨い続けて国頭村の辺戸に辿り着き、辺戸に義本の墓があるといわれたりもする。

辺戸の義本王墓

 さらにはこの仲順の森の中に「義本王妃の墓」と呼ばれる「うなじゃらうはか」というかなり厳かで立派な墓もあり、そこにこそ義本は眠っているのではという説もある。確かに、その「うなじゃらうはか」を目の前にすると、あまりの厳かさに王妃の墓の域を超えている気がしてならない。

うなじゃらうはか

 とにかくこの王陵数々の存在から見てみても、舜天王統の三王は浦添というよりも北中城仲順を重要拠点にしていたのではないだろうかと思えてならない。その結果、三王とも北中城の地に眠り、今でも地元の人々から大事に祀られているのではないかとも思えてくるのだ。

仲順大主とは一体誰?

 先ほども名前が出てきた仲順集落の創健者である「仲順大主」とは一体誰なのか。彼の存在が、今後の舜天王統解明に際し大きなキーポイントになってきそうである。

 仲順と聞けば、ウチナーンチュならすぐ思いつくものがあるはずだ。そう、エイサーの最たる代表曲、誰もが間違いなく一度は聞いたことがあるであろう「仲順流り」。

仲順公園の仲順流離の碑

 実はこの「仲順流り」という唄は、仲順集落の仲順大主を讃えた内容の唄なのである。遥か昔から現代にまで伝承され続けていることからも、村の人々に慕われ続けた大層高貴な人物だったことが分かる。

次ページ:
1

2

3 4

関連記事

おすすめ記事

  1.  サッカーJ3のFC琉球が、第2次金鍾成(キン・ジョンソン)監督体制下の初陣を白星で飾った…
  2. 今季から琉球ゴールデンキングスに加入したアレックス・カーク(左から2人目)やヴィック・ローら=16…
  3.  FC琉球の監督が、また代わった。  サッカーJ3で20チーム中18位に沈む琉球は1…
  4. 戦前に首里城正殿前に設置されていたバスケットボールゴールを再現した首里高校の生徒ら=8月27日、那…
  5.  8月12日、浦添市のアイム・ユニバースてだこホール市民交流室は熱気が渦巻いていた。ステー…
宮古毎日新聞

特集記事

  1. 再びFC琉球の指揮を執ることになり、トレーニング中に選手たちに指示を送る金鍾成監督=19日、東風平…
  2. ヴィック・ロー(中央)の入団会見で記念撮影に応じる琉球ゴールデンキングスの(左から)安永淳一GM、…
  3. 沖縄県庁  沖縄県は、地域の緊張を和らげようと、4月から「地域外交室」を設置し、照屋義実副知…
ページ上部へ戻る ページ下部へ移動 ホームへ戻る 前の記事へ 次の記事へ