琉球史上で最も重要な地は北中城⁉︎ 私的考察
- 2020/12/23
- 社会
戦後アメリカ軍高官向けの立派な住宅が立ち並んだことから、かつて沖縄のビバリーヒルズと呼ばれた北中城仲順の丘上に、彼らの墓と言われたり彼らを祀っていると言わたりする「ナスの御嶽」が存在し、地元でものすごく神聖な場所とされている。最近では、そのナスの御嶽を訪れる歴女の姿も見かけるようになっており、今後人々の関心度の高まりを期待させる。
一説によっては、ナスの御嶽には舜天、舜馬順煕のみが眠っており、義本に関しては王位を英祖に譲った後に放浪して彷徨い、この仲順の地で「仲順大主」という長に匿われたであるとか、彷徨い続けて国頭村の辺戸に辿り着き、辺戸に義本の墓があるといわれたりもする。
さらにはこの仲順の森の中に「義本王妃の墓」と呼ばれる「うなじゃらうはか」というかなり厳かで立派な墓もあり、そこにこそ義本は眠っているのではという説もある。確かに、その「うなじゃらうはか」を目の前にすると、あまりの厳かさに王妃の墓の域を超えている気がしてならない。
とにかくこの王陵数々の存在から見てみても、舜天王統の三王は浦添というよりも北中城仲順を重要拠点にしていたのではないだろうかと思えてならない。その結果、三王とも北中城の地に眠り、今でも地元の人々から大事に祀られているのではないかとも思えてくるのだ。
仲順大主とは一体誰?
先ほども名前が出てきた仲順集落の創健者である「仲順大主」とは一体誰なのか。彼の存在が、今後の舜天王統解明に際し大きなキーポイントになってきそうである。
仲順と聞けば、ウチナーンチュならすぐ思いつくものがあるはずだ。そう、エイサーの最たる代表曲、誰もが間違いなく一度は聞いたことがあるであろう「仲順流り」。
実はこの「仲順流り」という唄は、仲順集落の仲順大主を讃えた内容の唄なのである。遥か昔から現代にまで伝承され続けていることからも、村の人々に慕われ続けた大層高貴な人物だったことが分かる。