もう訴訟を止めませんか 沖縄を見つめてきたベテラン弁護士の思い
- 2020/12/12
- 政治
日本人になれない心
翁長氏は知事在任中に国連人権理事会で日本の人権侵害を訴えた。同理事会は国連加盟国の人権状況を定期的、系統的に見直して国際社会の人権状況を改善することを職務とする組織で、これまで韓国が日本を慰安婦問題の人権侵害で訴えた以外、日本が訴えられたことはなかった。
翁長氏は理事会で「沖縄は日本の国土の0.6%しかないが日本にあるアメリカ軍基地の73.8%がある。七十年の間にアメリカ軍基地に関連する事件、事故、環境問題が起き、私達の自己決定権や人権は無視されている。自国民の自由、平等、人権、民主主義すら守らない日本が世界の国々と価値観を共有しているとは言えない。日本政府は民意を無視して美しい海を埋め立て、基地づくりを強行している」と述べて、日本政府が琉球人の反対意見を押し切って米軍基地を建設するなど人権侵害を行っていると申立てた。
琉球民族独立総合研究学会の親川志奈子氏も国連先住民族常設フォーラムで「今なお琉球は深刻な軍事化の状況です。琉球人の反対にも関わらず日米政府は基地の建設を進めています。女性、子どもに対する性的暴行が発生、教育環境も脅かされています。この状況を作り出している日本政府は先住民族の権利に関する国連宣言に違反しています」と述べ、翁長氏と同様に政府による琉球人差別を糾弾した。
これらは日本人になれない心を持つ琉球人のなせる業だと私は考える。
好意から憎悪へ
南西諸島の日本復帰にあたり日本人は同胞の帰還として沖縄県民を歓迎した。石野径一郎が書いた「ひめゆりの塔」を読み、同名の映画を見、そして「沖縄県民かく戦えり、後世格別のご配慮を」と日本海軍司令官が大本営へ打電した電文等から中学生、女学生が軍と共に戦い、県民も軍に協力したことが広く知られており、共に犠牲を払って戦い、そして共に敗戦の苦渋を舐めてきたと思ったからである。
しかし、その後に琉球政府、琉球大学、琉球新報、琉球放送そして琉球銀行など組織の多くに「琉球」が冠されているのを見た日本人は「もしや沖縄は琉球なのか」と思うようになり、さらに琉球人が日本軍を公然と非難し、元日本軍人を訴追する事件が起きると「はたして同胞なのか」と疑念を持つようになった。
1995年、米兵による少女暴行事件で反基地感情が高まったのを契機に、当時の大田昌秀知事による署名拒否が起きた。アメリカが日本の防衛を行い、日本政府が基地を提供する条約がある。基地に土地を貸している地主の中に土地の賃貸借契約を更新しない地主がいた。その場合、法律は県知事が地主に代わって契約書に署名して契約を更新すると定めている。それなのに大田県知事が地主に代わって行う署名を拒否したことで国と県との間で訴訟が起きた。
高名な保守政治家が「沖縄を独立させてしまえ」と公言したり、沖縄に金を出す必要はないとの声を挙げた。そう言ったって沖縄県に基地を人質として取られているのだから独立させること、金を払わないことは出来ない。だが、個々の日本人に琉球人に対する憎悪感が生まれた。婿取り、嫁取りを断り、離婚し、昇進や採用などでの差別が起きるようになった。
国連人権理事会、国連先住民常設フォーラムでの出来事によって生まれた憎悪は琉球人を見限り、国民と思わない者を出した。それは沖縄へのヘイト的な行動へ発展する可能性を示唆している。
千葉県野田市で昨年1月に10歳の女の子が父親から虐待されて死亡する事件があったが、この子の母親は沖縄出身である。日本人である父親は「琉球人はどんな教育をしているのか」と女の子を叱責して挙句の果て死亡させたと報道にあった。
非常に残念なことであるが、日本人の中には琉球人に対するこうした考え方が増えつつあるように思う。
分断を徒に続けてはならない
県と国の訴訟は民族的紛争の様相を帯び、国民個人の社会生活に波及し琉球人と日本人の対立に発展している。日本人になれない心を持つ若い世代が自己決定権や琉球人の民意を至上なものと主張して「心」に肉付けし、日本国を疎外する言動に訴訟は力を貸している。
はたしてこのような争いのタネを撒くことが沖縄の未来のために良い結果を産むのだろうか。
すでにこれまでの判決から裁判所が県の主張を容れて辺野古の工事を中止させる判決を出す可能性が今後も乏しいことが推測される。県もそれは承知していることだろう。県と国が分断された状況を徒に続けてはならない。
いまの県の姿勢は自ら進んで対立のなかに身を置くようなものである。そろそろもう訴訟を止めませんか。それが私の切なる願いである。