もう訴訟を止めませんか 沖縄を見つめてきたベテラン弁護士の思い
- 2020/12/12
- 政治
去る11月27日、那覇地方裁判所で沖縄県が提訴した裁判の判決が言い渡された。米軍普天間基地の名護市辺野古への移設工事をめぐり、県の埋め立て承認撤回を取り消した国土交通大臣の裁決は違法であるとして、県が裁決の取り消しを求めていたのだが、判決は「裁判の対象にならない」と訴えを退けるものとなった。
この判決に県は「不服、控訴する」と、言っている。これまで辺野古移設をめぐる訴訟では8件に上る審理が行われ、県は琉球人のアイデンティティと魂の飢餓を救うこと、言葉を換えれば自治権と公平確保を得べく闘ってきたが、判決はどれも県にすれば受け容れ難いものとなった。県はこれらの判決を上訴し、破棄を求めたが、いずれも良い結果を得られなかった。
今回の判決も上訴するとしているが、県民に裁判では勝てないとの思いが広がり、もう訴訟は止めて頂きたいと考えている人が増えているのではないか。
宿怨
思い返せば、2013年11月に東京の日比谷公園で翁長雄元那覇市長(当時)ら沖縄県の市町村長が普天間基地へのオスプレイ配備に反対する集会を開き、その後、銀座などで行ったデモの時に、街頭から「琉球人は出て行け」の罵声が飛んだことで県民の宿怨に火が点いたといえる。
琉球人と言われて翁長雄志氏は、明との貿易の利益を横取りしようとした薩摩による琉球侵略、明治維新後に大日本帝国が力で行った琉球併呑、ヤマトンチュによるウチナンチュ(琉球人)の差別、更には大本営による沖縄の戦場化、そして日本復帰を要請する声を無視してサンフランシスコ講和条約で南西諸島の統治権をアメリカに渡したことなどに思いを致すようになった。
元来、自民党の政治家として国の立場に近い考え方だった翁長氏が沖縄に寄り添う姿勢を示したことに感動し、保守、革新、政党、党派にかかわりなく多くのウチナンチュが翁長氏の下に集まった。
彼らの多くは、いずれかの門中に属している。門中は17世紀から続く王国が創設した氏族集団であり、琉球王国の残影を残している。始祖が王であったり、三司官であったりする者が多く、それだけに出自を誇り、アイデンティティを重視する。
琉球王国が滅びて一世紀を超えても琉球人の心底には琉球がある。その心が国策より県独自の価値観を優先させ、国家の専権であるはずの外交を自ら行わせようとする。廃藩置県後、統治する側から統治される側の地位に落とされ、物言えず、腹ふくるる思いに苦しんだこと、翁長氏流に言えば、「魂の飢餓」を記憶している。
彼らの間には宿怨の火が燃え滾っていた。そこへ鳩山首相が「普天間の移設は少なくとも県外」と言ったものだから火に油を注いだ形になり、激しい反政府運動が始まった。さらに翁長氏は知事となり、アイデンティティと魂の飢餓を掲げて、前知事が国に与えた埋め立ての許可を取り消し、それが引き金となりたび重なる訴訟へと発展した。