興南高校野球部監督・我喜屋優さん(下) 沖縄・野球人伝説③
- 2020/11/25
- エンタメ・スポーツ
沖縄県勢で甲子園出場最多の16回、史上6校目となる春夏連覇を成し遂げた興南高校野球部監督、我喜屋優さん(70)。興南高校野球部キャプテンとして夏の甲子園でベスト4まで進み、その実力を買われて社会人の大昭和製紙に入社。選手から監督へ、そして現在に至るまでを聴いた。
「もっと飯食え」。その言葉に従う
沖縄から静岡へ、今まで見たとのない見上げる大きな富士山に驚き、電車通勤に戸惑う日々。自信をもって入社したのに周りをみれば身長180㎝はザラ、とんでもない打球を放つ先輩たちを目の当たりにし「甲子園ボーイ」と呼ばれながらも身体の小さな自分は、またもやボール拾いに戻った。先輩たちが放つ打球で家の屋根を壊せば謝罪と修理に出向き、まともに練習にも参加できない、再び味わった挫折だった。
そんな彼に人生を大きく変える出会いがあった。当時、大昭和製紙は陸上などスポーツ事業に力を入れており、のちに「アジアの鉄人」と呼ばれるハンマー投げの室伏重信選手が所属していたのだ。「おまえ、ちっちぇーな。もっと飯食え」と言われ、その言葉に従った。オリンピックを目指す選手の生活や練習に刺激を受け、知らないものの強みで堂々と「わからないから教えてください」とアドバイスをもらい、地道な練習で自分を磨いた。そして4年後、大昭和製紙北海道所属に移動した。
逆境は友なり宝なり
温暖な静岡から北海道白老(しらおい)の地を初めて踏んだ時の気温はマイナス12度。「なんだここは!!人の住む所じゃない」。まずはこの寒さから逃げることを頭に浮かべた。しかしすぐさま「ここで逃げたらどうしようもない。大学進学した奴らに負けられない。よし、どれだけ寒いか走ってみよう」。
夜8時、ジャンパーを羽織ってランニングに出た。1キロが過ぎ3キロを超えれば、ぽかぽかと身体が火照ってくる。5キロ過ぎにはジャンパーを脱いでいた。首の後ろから流れる汗がツララになり、ランニング後のお風呂がとても気持ちよかった。「寒いのは最初だけ、慣れたら大丈夫だ」。
翌日から積雪したグランド5メートル四方の雪かきをしてバットスイングを、雪球を作り送球練習を、柔らかい雪の上でヘッドスライディングの練習をした。雪だからこそボール拾いもいらなければ、怪我もしなかった。「雪の中では練習できないよね」という周りの言葉を跳ね返し、「寒さは一瞬、反復練習、個人練習はいくらでも出来る。逆境は友なり宝なり」と悟った。