興南高校野球部監督・我喜屋優さん(上) 沖縄・野球人伝説③
- 2020/11/24
- エンタメ・スポーツ
沖縄県勢で甲子園出場最多の16回、史上6校目の春夏連覇を成し遂げた興南高校の野球部監督であり、理事長並びに校長を務める我喜屋優さん(70)。1968年の第50回大会でキャプテンとして甲子園に出場しベスト4、そして2018年第100回大会には、監督として甲子園の土を踏んだ唯一無二の存在である。
人生のほとんどを野球と共に歩んできた我喜屋監督に11月19日、興南高校で話を聞いた。
野球ではなく陸上で推薦入学
1950年、現在の南城市にあたる玉城で9人兄弟の8番目で生を受けた。目の前には海が広がり背には森が繁る自然豊かな土地で育った。
2キロ離れた小学校に歩いて通い、帰りには、砂浜でかけっこしたり、海に向かって石や貝殻を投げたり、森では木登りなどターザンごっこをして、夜の帳が降りるまで遊び尽くした。お休みの日にはさとうきび畑で仕事をしていた母親の手伝いや父親の船を片付けるなど何でもこなした。自然に肩は強くなり、下半身が鍛えられ、面倒なことも苦にせずできる心が育った。
小学4年生の時に、那覇にいる遠い親戚の家の養子として出され、若狭小学校に転入。「都会の人は何でこんなに勉強するんだ?」と田舎のガキ大将は仰天し、スポーツだけでなく勉強もするように。また、近くにあった米軍基地や、隣の中学校で野球をしている姿を間近に見たことで「野球って楽しそうだな、やってみたい」と初めて野球に興味がわいた。