興南高校野球部監督・我喜屋優さん(上) 沖縄・野球人伝説③

 

「沖縄は英語で話すの?」とんでもない質問に少年たちは

 2年の秋にキャプテンに就任。当時の野球部監督は高齢ということもあり選手を尊重し「自分たちで考え、自分たちで行動する野球を学んだ」。という。3年の夏、見事県大会で優勝し第50回夏の甲子園大会の切符をつかみ取った。1年生の時とは違う気持ちで船に乗って甲子園に出向いた。

1968年第50回夏の甲子園大会ベスト4で凱旋したときの新聞写真

 甲子園初戦で勝つと「やれば出来る」と自信がつき、試合ごとに強くなる。興南高校は快進撃を見せ、とうとうベスト4まで勝ち進んだ。優勝まで、あと2勝。となると、周りが放っておかない。宿舎の周りに新聞、テレビ、ファンが押しかけ「興南旋風」と日ごとに大騒ぎになっていった。「優勝したらどうしますか?」「沖縄は英語で話すのですか?」など、とんでもない質問まで飛び出す始末。純粋な少年たちは野球以外のことに気を遣った。

 案の定、準決勝では0−14と大敗。「無心の時は応援の力も倍になるが、雑念は駄目。期待に惑わされ勝てなくなる。チャンスは目の前にあるうちに掴んでおかないと。魚と同じで湾内にあるうちに引き上げないと二度と戻ってこない」。

インタビューを受ける我喜屋優キャプテン(18歳)

 甲子園での活躍で、大学野球からお誘いも多く、東京遠征時に憧れの明治大学の監督にも挨拶。6大学へ行けるものと夢を抱いて実家に帰ると「どこにそんなお金あるの?」と母親が一刀両断。「そうだよね・・・」。あっさり受け止めた。  

 大学をあきらめ、誘いを受けていた社会人野球の大昭和製紙に入社。静岡県へと移住した。(つづく)

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