戦後の日本独自のキッチンを開発したのは琉球国王の末裔だった
- 2020/11/22
- 社会
しかし限られた土地、限られた予算の中で西洋の居住様式も取り入れた、それこそ居間と寝室を別々にした間取りをどうにか提供できないものかとの試行錯誤が続く。そしてその公団初代住宅計画部課長のポジションにいた人物が、実は「尚明」という人物。
沖縄の人間であれば、ん?尚さん?と思うことだろう。そう、実はこの方、琉球王朝最後の国王、「尚泰王」の孫に当たる人物なのである。
尚泰王は明治期の琉球処分、廃藩置県に伴い、首里城をあとに東京へ移住させられることになる。孫である尚明氏も東京にて生活を送り、大蔵省へ入省。そんな最中に太平洋戦争に巻き込まれるのである。
戦後焼け野原となった東京で、大蔵省から建設省へと移り住宅公団へ出向することとなる。当時はそのようなキャリア組でも、バラック(兵士の兵舎)を改装しただけの木造アパート小さな小部屋に、何と6名ほどの親類で住むことを余儀なくされていたという。
その当時、明氏の妻の道子さんが、そのようなバラック建物の隙間風通る寒く小さな調理場で、冷たい水を用い料理をし続けてくれていたことに胸を痛め、必ずや近いうちに暖かく快適な調理場を作り出してあげるからな!と誓ったという。
このような様々な時代背景も重なり、明氏はどうにか小さく限られた居住面積の中でも、調理場とダイニングルームを備え、さらには寝室を別部屋に配置できる間取りが可能ではないかを考える。
女性の社会進出のきっかけに
そしてようやく思い付いたのがこの「ダイニングキッチン」という今までには無いニュースタイルであったというわけなのだ。ダイニングとキッチンを同じ空間に設置する!これが日本式ダイニングキッチンの夜明けとなるのである。
軽く耐久性に優れたステンレス製シンクをキッチンと一体化することでよりコンパクトに。さらにシンクによって台所の水回りが断然によくなり、衛生面も格段に向上することによって家の中でも暖かい南側にキッチンを設置することが可能となった。
またキッチンとダイニングが一体化することで、世の主婦の方々が料理をしながらでも家族と同じ空間にいることができ、炊事をしながらでも家族と会話することが可能になったのだ。ひいてはこのダイニングキッチンによって日本女性の社会進出、男性が料理をするようになる大きなきっかけになったともいわれている。
このステンレスシンク一体型の台所が大いに評判を得て、公団入居応募者が大幅に殺到したともいわれている。
尚明氏の、妻を思う気持ち、日本中の寒い中料理をされている主婦を思う気持ちが、日本のキッチン概念を大きく塗り替えることに繋がったのだ。