「劣等感を与えない」学力最下位からの脱出を牽引、元教育長に聞く

 

 さらに、諸見里氏が独自で取り組んだのは、県教育庁内に「学力向上推進室」を新設したことだった。行政側の教育庁職員が学校現場を訪問し、現場の意識改革や課題把握に努めるなど現場との連携を密にした。それに先だって、県内全市町村所轄の学校長約400人を集めて「緊急校長会」と銘打ち、学校側の理解や意見を求めた。

 特に学校訪問は計約120校を数え、現場と一丸となって努力していくという「本気度」を印象付けた。その結果「徐々に学校現場の意識が変わっていったのが実感として分かりました。特に、校長が変われば学校が変わります」と振り返る。

「過去問ばかりやらせているんでしょ」への反論

 しかし、そのような熱意は一方で「学力テストの順位を上げるためだけに躍起になっている」との批判を生むようになっていた。「過去問ばかりやらせているのではないか」と。

 それに対して、諸見里氏は真っ向から反論する。普段は温厚な話しぶりだが、この時ばかりは少しばかり語気を強めていた。

 「主体的で対話的な学び(アクティブ・ラーニング)の実践など、現場の努力があったからです。過去問ばかりやったなんてとんでもない。それで順位が上がるのであれば、どの都道府県も順位は上がっているはずです。今、かつての学校現場とは授業風景はまるで違いますよ」

実は嫌った学力テスト「劣等感を与えたくない

 諸見里氏は著書「学力テスト全国最下位からの脱出」(学事出版)の中で、2教科(国語、算数ないし数学)だけで数値化して順位を付けられることに対して「学力だけが、学校教育の評価のものさしではないはずだ」「これが文部科学省の考える教育か」と、痛烈に批判してきた。学力テストの順位を押し上げようと先陣を切ってきた張本人こそが、誰よりも学力テストでの順位付けに嫌悪感を持っていた。

 教育長時代の思いは、この一つに尽きるという。

 「子どもたちが将来県外に出た時に、沖縄出身ということで『頭の悪い県民』とレッテルを貼られないか。劣等感を抱かないか」

 諸見里青年もかつて、浪人生時代や大学生時代を東京で過ごした若者だった。その時に遠くから聞こえてきた話し声は今も忘れない。予備校の学食でのことだ。

 「沖縄の人って、頭悪いよね」

 それも、1度や2度ではなかった。そういった類の言葉が、具志頭村(現八重瀬町)出身の若者の鼓膜を何度も揺らしていた。中野区の飲み屋の入口には「琉球人お断り」と掲げられていた。激高した同郷の友人が殴り込もうとするのを「今行くと余計にダメだ、我慢してください」と一生懸命押さえていたことだってある。ほんの35年ほど前の出来事だ。

 「たしかに、沖縄の人は口下手な人も多く、お酒飲んで気を大きくする人もいただろうし、なんだか分からない言葉(しまくとぅばやウチナーグチ、沖縄方言)を話していて、向こうの人からすれば(違いがあることから)差別や忌み嫌う対象になることもあったかもしれないけど、当時は沖縄の人で集まると、『この間はこんなひどいことをされた』『こんなことを言われたんだ』とみんなで悲しいことを共有していました」

 「『馬鹿』という言葉は、劣等感を人に与える最たるものです。それでも本土出身者と肩を並べて努力すると(学力などで)やってやれないことはないという思いがありました」

 “沖縄の人は馬鹿なんかじゃない。環境が整えば対等だ”ということを証明し、子どもたちには堂々としてもらいたかった。それが大人の責任だと感じていた。

今に続く歴史を悔やむ

 諸見里氏は、沖縄の子どもたちが長らく学力が低く、中学校に関しては今も全国最下位が続いている要因を、歴史に見る。

 戦後沖縄は長らく米軍統治下が続き、どこの国の憲法も適用されない境遇に置かれた。「教育基本法の恩恵から外れたんですから」と、負の遺産を令和の今でなお、悔やむ。さらにさかのぼる。

 「日本が列強の仲間入りを果たそうとし、国民は寺子屋で読み書きそろばんを学んで世界的にもかなり高い教育水準を誇っていた時、沖縄では読み書きなど対岸の話でした。せめて侵略した薩摩藩が琉球藩に対しても自分の藩の住民のように同様の教育を行うべきでした。ほら、沖縄は(日本史や世界史の主役として)歴史に登場してこないでしょう。当然だと思いますよ。読み書きができないんですから」

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