440年余りの伝統「与那原大綱曳」の継承 コロナ禍を乗り越えて
- 2020/11/6
- 社会
大綱曳できなくと綱武士だけでも
綱で繋がったはずの町民の心がどんどんやさぐれ、バラバラになっていく。与那原大綱曳の東(あがり)と西(いり)の綱武士(ちなむし)たちは、緊急事態宣言が発令されて話し合いもままならず、もんもんとした日々をすごした。結論が出ぬまま、それでも「大綱曳はできなくとも、綱武士、関係者だけでも綱を曳こう」と、7月12日、本来の8分の1にも充たない東西併せて20メートル300キロほどの小さな綱づくりを行った。
綱作りは、毎年与那原町の中心にあるえびす通りを挟んで、東西に分かれ相手の作戦を伺いながら大綱を編みあげるが、今回は小さな綱を大綱曳倉庫の中で背中合わせで仲良く作り上げた。そもそも与那原には「曳きちゅらさ、勝ちちゅらさ、敗きちゅらさ」(勝っても負けても和気あいあいと)という言葉があり、ケンカ綱ではないが、それなりに勝負にこだわる綱武士たちが綱を一緒に作りあう様子は、とても微笑ましく綱曳き愛がずんずん伝わってきた。
綱が出来上がれば、あとは本番を待つのみ。・・・時はたち、大勢で行う与那原大綱曳は中止と発表。ならば、小さい綱はいつ曳き合えるのか?結論がでたのは、本番4日前だった。
いざ決戦!!
9月20日夕刻、綱武士、実行委員など関係者のみが集合。消毒、検温、お互いの距離を確保しながら、東西の拝所に安全と感染症終息を願う祈りを捧げたあと、御殿山青少年広場へ。
例年通り琉装を身につけ大綱の上に支度(したく)が乗って国道を道ジュネー(行列)という与那原ならではの催しは出来ないが、代わりに広場の中で道ジュネーをした。前舞い(メーモーイ)が踊り、旗頭(はたがしら)が舞うガーエーを行い、いよいよ綱曳本番へ。ボラがうたい、金鼓隊(きんこたい)の高い金属音が鳴り響くと、小さな綱が宙をうねり、いよいよ東西が結合。カナチ棒が挿入され、いざ決戦!!