440年余りの伝統「与那原大綱曳」の継承 コロナ禍を乗り越えて

 

 新型コロナウィルスの感染拡大によって各地で祭りが延期、中止に追いやられる中、沖縄3大綱引きの一つで、与那原町の最大の神事である「与那原大綱曳」は、紆余曲折ありながらも9月20日、大綱曳実行委員会の代表メンバーと綱武士(ちなむし)のみで執り行った。

 すでに開催から2か月近くが経ったが、あらためてその様子をご紹介したい。

コロナ拡大でざわつく町民の心

 本来なら、8月16日、まつり会場に数万人が集結し、「ハーイヤ」の声に合わせて大綱がうねるはずたったが、今年、御殿山(うどぅんやま)青少年広場に集まったのは、昨年の1000分の1にあたるたったの60名。それでも、従来通りに衣装を身にまとい「道ジュネー」をし、前舞い(メーモーイ)が踊り、綱曳のあとには旗頭が勝ち名乗りをあげて静かに舞った。

 昨年末に感染症新型コロナウィルスが発生、2月頃から次々にイベントが中止、延期に追い込まれた。とはいえ、与那原町内の人々は、8月の大綱曳までには収まるであろうと楽観的に考えていた人も多かった。ところが、日を重ねるにつれ、感染症は収まるどころか、拡大する一方。「もしかしたら与那原大綱曳もできなくなるかも・・・」と、町民の心がざわつき始めた。

 5月1日、とうとう運営委員会総会で「延期」を決定、感染症の終息が見込めれば11月に開催と発表された。延期であって中止ではない、与那原大綱曳を愛する綱武士(ちなむし)たちにはわずかな希望が残された。

 ところが、10月に行われる予定だった「那覇大綱挽」は6月17日に、「糸満大綱引」も6月30日に中止を発表。沖縄3大綱引きの中の2つが中止となった。残された与那原大綱曳はどうするのか?実行委員会総会は大いに紛糾した。

「本当に延期してできるものなのか?」「いっそのこと中止すべきではないか」「過去、明治天皇御崩御の時でさえ延開し開催したのに、中止するのはいかがなものか」「観客なしで規模を縮小して開催するのはどうか?」「本来の形で行なわずして、伝統の継承になるのか?」そして、「そもそも伝統の継承とはどんなものなのか・・・」。

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