コンクリート建築の父と大宜味大工のマスターピース 旧大宜味村役場庁舎

 

時代と場所が引き合わせた奇跡

 仮にどちらかが別の人間であったり、どちらかが欠けていたとしたならば、今の時代まで立派に佇み続けられる、あれほど素晴らしい庁舎は出来上がらなかったのではないだろうか。

 当時は大工たちをはじめ、清村すら洋風建築を手がけるのは初めての試み。西洋建築の絵葉書を参考に建てたとも言われているほどで、その当時の両者の不安と緊張の心境は想像に難くない。もはやお互いの信頼関係によるところだけだったであろう。この大工たちならやってくれる!清村さんの設計なら大丈夫なはずだ!と。

 結果、あれだけの物を自分たちの感覚だけで、100年近くも前に建ててしまった。しかも、ただでさえ初の試みにも関わらず、二階建てなのである。

 二階部分はこれまた造りが珍しく、八角形をした小さな小部屋。その二階の小部屋が当時の村長室であった。八角形をした8面の壁それぞれには窓も付いていて、360度全方向を見渡せる造りになっている。これがまた今の時代に見てもお洒落なのだ!

二階の8面の壁にはそれぞれ窓が

 この八角形にもちゃんとした意味がある。庁舎は海のすぐ近くに建っているので、台風時などによる強風の影響をなるべく受け難いよう、風をうまく逃す造りとなっているのだ。

 実はこの旧庁舎の建築の際には入札競合業者もおり、那覇あたりの業者からは大宜味の大工にそんな西洋の見た事もない無茶苦茶な建物を建てられるわけがない!と斜に構えていたらしい。しかし、いざ出来上がった建物を見せられると驚きも驚きだったであろう。

 そう、まさか後に沖縄最古のコンクリート建築物となるほど頑丈で、100年にも及び保全維持可能な建物を建ててしまったわけなのだから。

コンクリート大国沖縄へ

現在は村史編纂室として利用

 大宜味村旧役場庁舎は、まさに清村と大宜味大工双方の信頼関係、そして彼らの仕事に対する、建物に対する情熱が重なり合ってこそ出来上がった建造物になったわけである。このコンクリート庁舎建築を皮切りに、沖縄県内ではどんどんとコンクリート製の建造物に着手していくこととなる。

 実は清村氏、他にも県内で多くの偉業を残しており、県内初のコンクリート校舎である金武小学校、宜野座高校の前身である宜野座尋常高等小学校、他にも学校校舎多数、それから名護の護佐喜御宮も彼の設計であったということなのだ。

 今なお、建築家の卵たちも学びのために足しげく訪れるという大宜味旧役場庁舎、ぜひ足を運んでその壮大なロマンを感じてみてはいかがだろうか。

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