大開運シーサー職人の野望「首里城福光シーサープロジェクト」とは
- 2020/9/15
- 社会
気分がいい時やテンションが高い時しか作りません
宮城さんは普段、シーサー職人として「大開運シーサー」を作っている。沖縄県内数か所に工房を構え、数百円のものから、中には数百万まであらゆるシーサーを生み出している。
以前は沖映通り沿いで「MITSUOシーサー美術館」として美術館兼ショップ兼工房を営んでいたが(赤と黄色のかなり派手な外観なので、一度は見たことがある人が多いだろう)、現在移転準備中となっており、10月には壼屋で営業を再開する予定だ。
宮城さんの店舗には、小さい数百円のシーサーから数万円の大きいシーサーまであらゆる種類が並ぶ。販売されていないもの(特注品)も含めると、中には数百万のものもあるらしい。どれが「大開運」なのかと尋ねると、「どれも大開運」だという。
「自分がいいと思ったシーサーがその人にとって大開運シーサーだから、好きなものを選ぶように言っています。大開運というのは単純に、作り手の僕たちが一つひとつエネルギーを込めて作ってるからなんですよ。だから僕は、気分がいい時やテンションが高い時にしかシーサーを作りません」
首里城に使われていた師匠の赤瓦
独特の制作スタイルを持つ宮城さんがこれまで制作・販売してきた大開運シーサーには、赤瓦職人・奥原崇典さんの瓦が使用されている。奥原さんは完璧主義だったため、首里城の瓦作りの際、どこがダメなのかわからない程度の瓦でもダメだと思ったら捨てていたのだそうだ。だが赤瓦は産業廃棄物扱いであり、捨てるのにもお金がかかる。驚くことに奥原さんは、赤瓦の廃棄代にかなりの金額をつぎ込んでいたらしく、それを知った宮城さんは密かに買い取っていたのだという。
「だからうちには奥原さんの瓦がいっぱいあるんです。奥原さんの作る赤瓦にもエネルギーがたくさん込められてますからね。赤瓦と僕のエネルギーが合わさって、大開運シーサーが完成します」
師匠として尊敬していたという奥原さんの赤瓦。その赤瓦でつくられた首里城が燃えた日は、燃え始めからずっと首里城を見ていたと話す宮城さん。どんどん強くなっていく火を見て「これはボヤではすまない」と分かった瞬間があったという。その瞬間、宮城さんの頭に捨てられる運命であろう赤瓦がよぎった。そして奥原さんが一生懸命作っていた姿を思い出し、絶対にあの赤瓦をゴミにしてはいけないと思ったのだ。