「銘苅の湿地」に込められた住民の思い マチナトハウジングシリーズ②

 
新都心の「銘苅の湿地」

 前回のシリーズ①では、アメリカ軍マチナトハウジングの広大さについて取り上げた。その土地の中には、返還と同時に戻ってきた史跡も多くあった。
 銘苅は地域のほぼ全域が軍に接収され、その中には琉球史における重要な聖域も含まれていたので、返還後の聖域管理について調べてみた。

返還後の新しい銘苅まちづくり

 銘苅といえば、最近まで那覇市銘苅庁舎があったので、新都心の中心部というイメージも強いかと思う。しかし戦前はあたり一面農村地だった。戦後は安謝川に沿うように土地を摂取されることになるのだが、ハウジング時代の興味深い名残を見つけることができる。

 安岡中学校の校舎裏に一本のガジュマルの老木があり、現在ガジュマル公園として整備されている。実はこのガジュマル、ハウジング時代の写真ではフェンスの中に確認することができるのだ。この木を残すため、地主で結成した那覇新都心地主協議会の尽力で都市計画の一部が変更され、道路を敢えて歪めて通すよう整備して保存に漕ぎ着けた。

昔の写真でも、その位置と立派なガジュマルがはっきりと分かる

 この貴重なガジュマルから新都心方面へ向かうと、突如奇妙なほど巨大な緑地・湿地「銘苅の湿地」が現れる。(冒頭写真)

 ここから先の新都心公園側へ向かうには、湿地を迂回し右側から橋を渡るか、左側の銘苅じんじん広場を通って銘苅小学校前から回り込む、というルートしかない。銘苅小学校前から行くと、那覇消防局と小学校裏の間に銘苅の古墓群を見ることができる。この古墓群はマチナトハウジングの返還後、都市計画を進行している最中に発見された。
 文化的重要性から埋め戻すのか保存調査を行うのかで議論となったようだが、地権問題や企業誘致、区画整理などとの兼ね合いから、最終的に当初の土地計画を一部変更し、古墓群の周りに庁舎や学校、消防などの施設を集め、建物で囲むように保存することが決まった。

Print Friendly, PDF & Email
次ページ:

1

2

関連記事

おすすめ記事

  1.  慰霊の日が近づくと、沖縄戦を語り継ぐことの大切さが毎年のように課題として挙げられる。戦後…
  2.  7月10日投開票の参議院議員選挙が22日、公示される。沖縄選挙区は現職の伊波洋一氏(70…
  3.  「月桃ゆれて 花咲けば 夏のたよりは 南風」-。鎮魂や反戦、平和への願いを込めた海勢頭豊…
  4.  国際通りの真ん中に位置するビル。エレベータを降りて2、3歩足を進めると、100席余のテー…
  5.  求人サイト「オキナビ」の運営などを行う株式会社プロアライアンス(大城佑斗代表)と沖縄県内…

特集記事

  1. 県庁
     今後10年の沖縄振興の指針となる新たな振興計画「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」(第6…
  2.  5月15日に東京と沖縄をオンラインで繋いで開かれた「沖縄復帰50周年記念式典」。壇上の大…
  3. 「沖縄県だけ特別措置を作ってもらっている現状をどう認識するのか。復帰50年を過ぎてもまだ国…
ページ上部へ戻る ページ下部へ移動 ホームへ戻る 前の記事へ 次の記事へ