「銘苅の湿地」に込められた住民の思い マチナトハウジングシリーズ②
- 2021/5/19
- 社会
なぜか消え去った道路
先述したガジュマルから新都心方面へ向かうには、湿地を迂回しなければならないと述べた。しかし実はこの地がまだハウジングだった頃、ガジュマルから湿地の向こう側までは一本の道路が通っており、実はわざわざ迂回することなく渡れていた。緑地の面積も現在と比べると半分くらいしか存在せず、住宅も建っていた。
新しい土地計画では敢えてその道路を取っ払い、人が踏み込めないような巨大な緑地に変えている。いや、「戻した」とも言えると考えられる。
緑地については地域誌や都市計画調査書などでも戻した経緯や理由は明確に示されておらず、観光スポット紹介などでも触れられている例はあまりない。実は琉球組踊の創始者・玉城朝薫の作品「銘苅子」の舞台となる泉もこの緑地の中に残されている。
憶測ではあるが、地域として取り戻した大切な場所を、今後開発によって手をつけられたくないという地元の人たちの願いや思いがそこにはあるのではないだろうか。残された自然の形のままで保護するべきだという観点から、敢えてその一帯を広大な緑地とし、喧騒や人々から遠ざけているのではないかと思うのだ。こうした経緯やエピソードを踏まえて、新都心の歴史に思いを馳せてほしい。