戦後沖縄初のアナウンサー川平朝清氏 復帰50年を語る

 
インタビューに応じる川平朝清さん=11日午後、東京都港区の国際文化会館で(吉村剛 史撮影)

 第二次大戦での日本の敗戦により、戦後長く米国の統治下におかれた沖縄が、1972年に本土に復帰してから5月15日で半世紀を迎えた。通訳や音楽の分野で琉球王朝に仕えた川平家の末裔で、台湾生まれ、戦後は沖縄で初のアナウンサーとなった川平朝清さん(94)が、本土復帰50年の節目に先だち、東京都港区内で筆者のインタビューに応じた。(聞き手・吉村剛史)

50年への「感謝」

——「復帰50年」にあたっての思いは?

 大きく4つの感情があげられる。まずは日本、そしてその納税者に対する「感謝」の念だ。「復帰」したおかげで、沖縄はいろんな意味でよくなった。たとえば教育環境の整備で、国立琉球大学が置かれ、復帰後には医学部も設置された。戦前は師範学校が最高学府だったことを思えば大変な進歩だ。

 開発も進み、都市基盤の構築や改善についてもすばらしい発展がみられた。もっともその方面に重点が置かれ過ぎて、実態と不は釣り合いな整備等も見受けられるが、沖縄の建設業界などが潤ったのは事実だ。

 また、川平家と縁の深い首里城の再建(と2019年の火災、焼失後の再再建への取り組み)もあげられる。

 戦前、首里城は老朽化によって荒廃し、1923年には旧首里市も倒壊の危険性からその維持を諦め、正殿の取り壊しを検討したほどだが、沖縄の文化調査を行っていた東京帝国大学教授の伊東忠太、そして鎌倉芳太郎らが、その文化財的価値を見出してくれて奔走し、取り壊しは中止になった。この際の修復に伴う調査で詳細な図面が残されたため、戦災などで破壊された首里城の、戦後の再建、復元につながった。

 ただし、その再建、復元も一筋縄ではいかなかった。私の兄(朝申)は再建委員会をつくって、副会長の座にも就いたが、首里の人は再建に賛成でも、那覇の人や石垣島など先島の人の中には首里城を「搾取の象徴」だと見て、冷ややかな姿勢の人も少なくなかった。

 結局、日本政府が再建、復元に前向きで、1992年に荘厳な正殿等が完成した後、次第に沖縄人のアイデンティティの象徴のように受け止められるようなった。だから、火災で焼失したことには大変落胆したものだ。

「期待」、「幻滅」、そして「失望」

——「復帰50年」は当の沖縄では盛り上がりに欠けているようだが

 残りの3つの感情は、「期待」を前提にした、主に米軍基地問題における「幻滅」と「失望」だ。

 日米安保条約そのものについては賛成だが、それに付随する(主に在日米軍の日米間での取り扱いなどを定める)日米地位協定については、1960年の署名、発効以来一度も改められていないし、積極的にこれに向き合おうとする政府の姿勢も見えない。期待を裏切られた思いだ。

 主権という面に注目すれば、「復帰」とはいうものの、実態は「施政権の返還50年」というべきだと思っている。

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