戦後沖縄初のアナウンサー川平朝清氏 復帰50年を語る

 

 私はメディアの世界にいたこともあるが、「復帰」前は(強大な権限を持ち、琉球政府の施策にも介入した琉球列島米国民政府の)高等弁務官に会って話し合うこともできた。今なら沖縄防衛局が相手となるが、これはどうも市民と米軍の間に立って、県民側よりも米軍側の思惑を代弁している気がする。

 ひとつ象徴的なエピソードを紹介するなら、宜野湾市にある私立の佐喜眞美術館のケースがあげられる。ここは丸木位里・俊夫妻による「沖縄戦の図」の常設展示で知られるが、米軍普天間基地内にあった佐喜眞家の先祖の土地を、基地司令官と直接交渉して取り戻し、沖縄県内初の個人美術館として1994年に開館したのだが、その経緯については、沖縄防衛局では「勝手なことをしてくれたら困る」と言わんばかりの姿勢だった。

 復帰前の米国統治時代は、米側は万事、団体交渉などを経て様々なことを進めてきたが、返還後はすべて日本側が代弁してまとめてくれるので、ずいぶんと楽になったことだろう。

 基地がそのまま残り、維持できるなら、「施政権」は返還していいというのが「復帰」の本質ではなかったのか。日本は施政権返還という「名」を取り、米国は基地の自由使用という「実」を取ったといえる。

——そのような沖縄の特殊な事情は、本土には理解してもらいにくい

 たとえばサンフランシスコ講和条約発効で日本が主権を回復した1952年4月28日、沖縄は本土から切り離されたわけだが、私はその日、たまたまアナウンサーの研修のため、「祝賀」の雰囲気あふれる東京の街にいた。翌日、ある全国紙の名物コラムを読んで愕然としたのを覚えている。そこには「日本はドイツや朝鮮のように分断されることはなかった」と手放しで喜びを書き連ねていた。

 「そうか、本土の主要紙の記者の脳裏には沖縄や奄美のことなどは微塵も存在しないのだ」と憤るとともに、悲しい気持ちになった。そういう場面は多々あった。

 しかし、私は現在港区に住んでいるが、区内にも米軍関連施設は多く、ヘリの低空飛行などはよく見る。局地的には沖縄となんら変わりはない。ドイツもイタリアも地位協定を見直し、主権を回復したが、日本は回復したとはいえない状況だ。

ある種の「面従腹背」

——今年は9月の知事選に向け、政権与党側とオール沖縄戦いが注目されているが

 現状オール沖縄側は劣勢のようだが、沖縄県民は、政権与党側だってもろ手をあげて「基地賛成」という人は少ないということをよくわかっている。ある種の「面従腹背」で、与党系の政治家の苦労には同情すべき面も多い。沖縄はまことに複雑だ。

 すでに戦後生まれが多数で、米国統治時代を知らない人も多い。米軍基地は雇用の場でもあるし、軍用地地主のように生計が基地と密接な関りを持つようになって、がんじがらめとなっている一面もある。ただし、最近のある全国紙と沖縄紙の合同調査によると「日米安保条約の維持に賛成か」との問いに、沖縄は賛成が58%、反対26%だったのに対し、全国の調査では賛成が82%、反対が10%で、意識の差は歴然としていた。

 中国の対外強硬姿勢やウクライナ侵攻が現実に起きている今、与那国島のケースのように、県民も、ミサイル配備は勘弁してほしいという微妙な思いを抱きつつも安全保障上、自衛隊に関しては受け入れるようになっている。私は米国に沖縄の返還を迫り、それを実現した佐藤栄作首相の胆力を高く評価している。たとえ、その裏で秘密協定を結ばざるをえなかったとしても、だ。

 政府関係者には日米合同委員会(日米地位協定の運用を協議する実務者会議)で、御用聞きのような姿勢に終始するのではなく、日本の主権回復が一歩でも前進するような姿勢で臨んでほしい。岸田首相にも、バイデン大統領に会う際にはこの面で少しでも改善を迫る度胸を持ってほしい。

(かびら・ちょうせい)1927年、日本統治下の台湾・台中生まれ。46年、旧制台北高等学校を卒業。戦後は沖縄に引き揚げ、RBC琉球放送の設立に尽力。53年から57年までガリオア資金による米ミシガン州立大に留学。夫人となるワンダリー・ウィーバーに出会う。67年、沖縄放送協会会長に就任。72年、沖縄の本土復帰に伴い、沖縄放送協会の事業は日本放送協会(NHK)が継承。家族と共に東京に移り、NHK経営主幹に就任。92年より学校法人昭和女子大学英文科教授、副学長、副理事長などを歴任し、現在、同大学名誉理事、名誉教授。タレントのジョン・カビラ(川平慈温)さん、実業家で米国在住の川平謙慈さん、タレントの川平慈英さん3兄弟の父でもある。

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