曲折の歴史 那覇軍港返還はいつ実現するのか
- 2020/9/5
- 政治
ところが13年2月、今度は軍港移設反対を掲げる松本哲治氏が浦添市長選で当選したことで、計画はストップすることになる。松本市長は15年に移設容認に転じるものの、軍港を移設協議会が議論してきた浦添埠頭地区内の北側ではなく、南側に配置する独自案を提唱し、沖縄県、那覇市との足並みがそろわない状態が続いた。
この状態を解消する新たな動きが、冒頭で記した浦添市の再度の受け入れ表明だ。20年8月、防衛省が松本市長の「南側案」では軍港配置に技術的な問題が生じるとして、これを採用しない考えを伝達。松本市長がこれを受け入れる形で国、県、那覇市、浦添市の方針が一致し、再び計画が進む流れができあがった。
松本氏は従来の計画案を受け入れたことに関して、8月20日に自身のfacebookで「浦添市にとって断腸の思いではありますが、沖縄県と那覇市と足並みをそろえて前進できるところからまずは第一歩を踏み出そうと合意した」と説明した。
苦しい説明 知事の支持層には反対も
那覇軍港の返還は現在、2013年4月に日米が合意した計画に基づき進められている。浦添埠頭地区内49ヘクタールを埋め立て、早ければ28年度に那覇軍港の移設と返還が実現する段取りだったが、既に7年近い遅れが生じている。
国と県が計画を進める立場を取っていることもあり、那覇軍港の問題は辺野古移設のように双方が激しく対立する局面にはなっていない。
とはいえ、辺野古移設問題で反対を貫く県の玉城デニー知事の支持層には、県内移設を条件とする那覇軍港返還に対しても反対論が強くある。国からの埋め立て申請を県が承認し、海を埋め立てて施設を整備するというスケジュールは那覇軍港と普天間飛行場の移設計画で同じ手続きだ。県知事を先頭に辺野古反対でまとまってきた「オール沖縄」勢力は、那覇軍港問題では一枚岩になることができない現状がある。
普天間飛行場の辺野古移設と那覇軍港の浦添移設はどう違うのか。どちらも県内移設であり埋め立てにより自然破壊を伴うのではないか。昨年12月の県議会一般質問でこの点を取り上げた県政野党の自民党県議に対し、県は以下のように答弁している。
「那覇港湾施設(那覇軍港)の代替施設については、現有の那覇港湾施設が有する機能を確保することを目的としていることが、移設協議会において確認されてきたところです。また、儀間元浦添市長は、那覇港港湾区域内での場所の移設となることから、整理整頓の範囲内であると考えている旨の発言をしております。一方、政府が推進する辺野古新基地建設計画においては、弾薬搭載エリア、係船機能つき護岸、2本の滑走路の新設など、現在の普天間飛行場と異なる機能等を備えることとされており、単純な代替施設ではないと認識しております」(県の池田竹州知事公室長)
同じ港湾区域内で軍港機能を「整理整頓」する計画ゆえ、那覇軍港の浦添移設は辺野古移設と異なり容認できるというロジックだが、実際には那覇市から浦添市へ自治体をまたぐ移設計画であり、説得力がある説明とは言いがたい。玉城知事を支持する県政与党の二大勢力である共産、社民両党は計画に反対している。