【歴代知事①】刻まれた眉間の「縦じわ」 初代沖縄県知事・屋良朝苗の苦悩とは 復帰50年
- 2022/5/23
- 政治
道半ばの復帰「完了」 残した遺訓
1976年6月の退任挨拶では「基地のある間は、沖縄の復帰は完了したとは言えない」と語った屋良。1997年2月24日に94歳で逝去した。
「私にはね、安らかなお顔には見えなかった。強い思いが残されているような。『これまで苦労してきたんだから、ゆっくり休んでください』と申し上げたかったけれども、そういう状況にはならなかったですね」。亡くなった直後の死に顔に直面した石川さんは、そう振り返る。
生前には、石川さん、そして県民に向けた遺訓を残したという。
「叶わなかった復帰の中身を勝ち取るのは君達の大切な責務であるから、頑張れよ」
沖縄が日本に復帰してから半世紀。5次にわたる国の沖縄振興計画などで産業や生活インフラは劇的な変化を遂げたが、今も国土面積の0.6%に過ぎない沖縄に全国の在日米軍専用施設面積の70.3%が集中する。
屋良、平良幸市、西銘順治、大田昌秀、稲嶺恵一、仲井眞弘多、翁長雄志に続く8代目のリーダーとなった玉城デニー知事は、沖縄復帰50周年記念式典の沖縄会場で「本土復帰にあたって沖縄を平和な島とするという目標が、復帰から50年経ってもなお達成されていない」と断じた。
一方の岸田文雄首相は「復帰から50年が経つ今もなお、沖縄の皆様には大きな基地負担を担っていただいております」とした上で、「これからも日米同盟の抑止力を維持しながら、基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げてまいります」と今後を見通した。
屋良が切願した復帰の「完了」は、まだ道半ばだ。