沖縄最長の河川「比謝川」をたどれば琉球・沖縄史が見えてくる
- 2022/5/20
- 社会
県内最長の河川「比謝川」。その距離は15km以上にもなる。
比謝川の源流は「沖縄こどもの国」内にある池・旧越来ダム付近とされ、そこから沖縄市、米軍基地内を流れ嘉手納町と読谷村の間を何度も蛇行しながら海に注ぐ。川が流れる地には文明が開けると言われるように、県内最長の比謝川沿いをたどれば興味深いたくさんの逸話に出くわすことになる。
先史時代、王朝時代にも重要な役割を果たしてきた
1975年、比謝川河口の読谷村渡具知で約7000年前の遺跡「渡具知東原(あがりばる)遺跡」が発見された。それまで県内で確認されていた縄文時代の遺跡は約3500年前の「伊波貝塚」や「荻道貝塚」などで、その歴史から数千年大きく遡ったことが話題になった。遥か昔の縄文時代に比謝川は人々の生活に潤いを与えていたのだ。
また、読谷側の河畔には「渡具知ビーチ」が広がり、ビーチと河口の間には琉球石灰岩で覆われた小高い「泊城公園」がある。この公園内にあるグスク跡は、古琉球時代に北山系の集団が敵の追っ手から逃れ隠れ住んだ場所だったため、「カクイグスク」とも呼ばれてきたようだ。悠久の時を経て荒波に削られ続けてできた巨大奇岩群の姿は圧巻で、隠れ住んだという言葉にも納得がいく。
さらに比謝川中域には、13世紀〜15世紀に築城されたとみられる「屋良グスク」の跡が残り、川沿いに建てることで要塞としての機能を高めた様子がうかがえる。
屋良グスクの築城主は未だ不明だが、一説では勝連城主で有名な阿麻和利が屋良の出身ではないかとも言われていることから、関係性を想像するとより一層興味をそそられる。現在は屋良城跡公園として整備され、川沿いの遊歩道は人々の憩いの場となっている。
比謝川沿いには他にもいくつかグスク跡が見つかっており、グスク時代においても、いかに比謝川が重要だったのかを感じとれる。
嘉手納町と沖縄市の境界付近には、比謝川流域の一部にも関わらず川の流れが止まっているかのように見える大きな池「屋良ムルチ」があり、ここには琉球の昔話が伝わっている。
かつてこの池には大蛇が住み、時おり姿を現しては田畑を荒らし人々を襲っていた。困り果てた村人が霊能者に助けを求めると、「童女を生贄として差し出せば災いは消える」と伝えたという。
そこで褒美との引き換えに生贄となってくれる童女を募ってみたところ、とある貧しい家の娘が親孝行になるのであればと名乗り出た。いざ生贄の儀式が始まり大蛇が娘を飲み込もうとした瞬間、天から神が降りて来て大蛇をバラバラにしてしまうというストーリーだ。
この話は「玉城朝薫の五番」と呼ばれる組踊傑作五演目の一つ「孝行の巻」にもなっている。