巨岩にトンネルに偉人… 意外と知らない「北谷グスク」を巡る歴史

 
右側の小山が「北谷グスク跡」

 北谷に王朝時代のグスク跡があるのをご存知だろうか。戦後、グスク跡地ごと米軍に接収された「北谷城跡(北谷グスク)」。実は沖縄県民ならば一度は目にしているし、その目の前を通っているはずだ。今回は北谷グスクと北谷の偉人についてお届けしよう。

58号線に突き出る“巨岩”

 北谷町ハンビーエリアの58号線を北向けに走ると、北谷交差点にある沖縄銀行北谷支店や北谷のタワービルの向かい側に、巨大な岩のような小山が見えてくる。これが北谷グスク跡だ。グスクの規模は大きく、県内のグスクでは首里城や今帰仁城に次ぐ規模だとも言われている。また、古文書などに北谷城を讃えた内容や、北谷按司、北谷王子についての記述があることから、一定の影響力がある由緒ある城だったことも分かっている。
 古来より神聖な場所として崇め続けられてきていることもあってか、米軍に接収されていた時代を経てもなお、手つかずの形で58号線に突き出ている。

1963年の「北谷グスク跡」前の道路。車はまだ右側通行だ

 北谷グスク内の文化ガイドツアーに参加したことがあるが、御嶽や祭祀場跡などがはっきりと残っており、神秘的な空間が広がっていた。
 これまでは米軍基地内であったため自由に出入り出来なかったが、2020年に沖縄県に返還され、現在跡地整備事業が進んでいる。整備後も無闇な跡地開発などはせず、大事に保存していってほしいし、未だ謎の多い北谷グスクの今後の解明も楽しみである。

「北谷グスク」内部は手付かずの神秘的な空間が広がる

沖縄初のトンネル

 北谷グスクの北側、白比川を越えた謝刈交差点あたりにも、かつて「池グスク」という小高い丘状のグスクがあり、細長く海側まで続いていた。そのため人々の移動は丘の上り下りで困難を極めたという。そこで1905年、県道が開通するのに伴い、丘の内部をくり抜きトンネルを掘った。
 これが沖縄初のトンネルで「北谷トンネル」と呼ばれ、戦前まで使われていた。長さは約18メートルで、広さは馬車が1台通れるほどだった。トンネル内は一年中風が吹き抜けて涼しく、雨宿り場としても重宝されていたという。

 しかし、戦争が始まる直前、軍資物移動の妨げになるとの理由で日本軍によって破壊されてしまった。

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