巨岩にトンネルに偉人… 意外と知らない「北谷グスク」を巡る歴史
- 2021/10/22
- 社会
町民に愛され泡盛にもなった「長老」
北谷グスク南の城下には、「北谷三箇」と呼ばれ豊かな農作地である「北谷」「玉代勢」「伝道」の集落が広がっていた。現在は米軍基地キャンプフォスター内にある地区だ。
15世紀ごろ、玉代勢集落出身で「北谷長老」として人々から広く慕われた人物で「南陽紹弘禅師(なんようしょうこうぜんし)」という人がいた。琉球に臨済宗妙心寺派を初めてもたらした人物とも言われている。北谷長老は幼い頃から異才を放ち、13歳で出家、19歳で日本に渡り、陸奥国松島のお寺で修行を積んだ。
琉球に戻った後、首里で王府管轄の建善寺の住職となるも、後年は故郷北谷の地で「樹昌寺」という寺を建て布教活動したという。
人々への法施がとても丁寧で、病気の人を救い、田畑の不作や害虫被害も解決し、村々の人から仏のように崇められていた。首里への往来には、足元の虫やあらゆる生き物を踏んでしまわぬように注意して歩くため、普通の人の数倍かかったという逸話も残る。
そんな北谷長老が惜しまれながら葬られた場所が「長老山」であり、現在もキャンプフォスターの中に祀られている。
北谷長老以降の樹昌寺の住職たちも葬られていたという長老山は、フェンスで隔てられている現在でも、地元の人の心の拠り所となっている。その樹昌寺は今では場所を北谷町大村に移し、立派な樹昌院として受け継がれている。
北谷町の「北谷長老酒造所」が「北谷長老」という銘柄の泡盛を作っていることからも、地元の人にどれほど愛されている人物なのかが分かるだろう。
北谷にはかつて、立派なグスクが聳えたち、農作に栄える城下町を有していた過去があった。次に北谷を訪れる機会があれば、このような歴史を頭に思い浮かべながら歩いて見てもらいたい。