台湾有事で想定される避難者 仲井眞元知事「沖縄県は対応を研究すべき」
- 2022/3/20
- 社会
沖縄県は国境に位置する県
やや古い事例だが、本土復帰から5年後の1977年5月、与那国島にベトナムからのボートピープル27人が漂着したことがある。3トンの小舟に乗って島に着いた彼らは、法務省が処遇を決めるまでの期間、島の公民館に収容され、町が世話をした。77年5月3日付『沖縄タイムス』には与那国町役場総務課の担当者の以下のような困惑のコメントが掲載されている。
「食事費は町が出し、民間に請け負わせている。二十七人の一食分で一万四千円かかるので負担が大きい。三日からはもっと安くするつもりだ。こちらでは町役場、入管駐在員、警察が協力して面倒をみているが、中央からの何の指示もなく、滞在が長びくのではないかと不安だ」
27人のボートピープルでも対応に苦慮したわけで、これが千人、あるいは万人という単位になれば、より困難になることは言うまでもない。
「台湾有事ともなれば、小さな島の行政だけで対応するのはとても無理です。沖縄県は国境に位置する県でもあるわけですから、有事を想定して何ができるのか、県は早急にしっかりと研究を進めるべきです」(仲井眞氏)

2011年の東日本大震災では、当時知事だった仲井眞氏の指示のもと沖縄県は東北地方から多くの被災者を受け入れた経緯がある。
当初は被災地の地域ごとに集団で受け入れることを想定していたが、実際には手を挙げる地域がなかなか出てこない。地域ごとの受け入れは現実的ではないと判断して個別に対応することに方針転換。さらに、被災地の避難所などに設けられた掲示板に受け入れ窓口の専用電話回線を掲載したところ、問い合わせが相次ぐようになったという。
被災者の滞在先として県内にある公営住宅だけでは賄えないため、県内のホテルにかけ合って3食つきで5000円に押さえ込むよう交渉、ホテル側から快諾を得た。大手電機メーカーの関連会社から電気製品のセットを提供してもらう協力を得たほか、空港からの被災者の送迎には青年会議所からの協力も得た。
行政と民間が協力して、この時に沖縄県は1000人を超える被災者を受け入れた。こうした経験も活かすことができるのではないかと仲井眞氏は指摘する。