勝連城跡だけじゃない! 「旧勝連」エリアの見どころ教えます

 
人力で通したとは到底思えない迫力の「ワイトゥイ」

人力のみで切り拓いた絶景道路

 本島の勝連エリアにも興味深い史跡がいくつもある。

 まずは平安名区にある断崖を切り開いて通した道「ワイトゥイ」だ。沖縄の言葉で「割って取る」を意味し、文字通り割って開かれたような崖の間に伸びる道だ。

 長年この断崖を上り下りするしか集落間を行き来できなかった村人の不便を解消すべく、地元の有志が集い1932年から3年の月日をかけて人力のみで切り通した道である。道の両サイドは高さ20mにも達する岩壁となっており、長さは150mにも及ぶ。

 その絶景には、地元の人々の揺るぎない信念と労力が滲み出ているかのようだ。

地元に寄り添った平敷屋の英雄

 それから琉球史好きであれば、平敷屋と聞いて思い浮かべるのは平敷屋朝敏だろう。首里生まれの士族ながら、勝連間切平敷屋の脇地頭に配されると身分別け隔てなく人々と接し、水不足に悩む農民のためにため池を造るなど常に地元に寄り添った。

 ため池を掘った際にかき出された土で盛られた丘が「平敷屋タキノー」として今でも残り、米海軍ホワイトビーチを一望できる絶景ポイントとなっている。

王朝時代に盛られた歴史ある「平敷屋タキノー」は、米軍施設も見渡せる公園となっている

 平敷屋朝敏は王府の支配体制や貧富の差の問題などに対して批判的な立場を取り、子弟の教育にも力を入れた。

 さらに和文学者の一面も持っており、当時はタブーとされていた「手水の縁」などの恋愛作品も手掛け、身分の差による恋愛禁制に対しても暗に抵抗した。

 その矢先、時の三司官・蔡温をはじめ、王府の体制を批判した文書を薩摩在番奉行所に投書したとの疑いで罪に問われ、1734年に安謝の処刑場で磔(はりつけ)の刑に処された。

 現在平敷屋タキノーには平敷屋朝敏が詠んだ歌の歌碑と、朝敏を敬愛する地元の人によって書かれた碑文が建てられている

 このように、勝連には城跡だけではなく、さらなる深い歴史を垣間見ることができる史跡が数多く残っている。海中道路で島々に渡るだけではなく、勝連半島の先に積み重ねられている琉球の歴史も堪能してもらいたい。

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