教育で琉球と日本を変えた名護聖人「程順則」
- 2021/9/26
- 社会
“いちんゆしぐぅとぅや みぬうぃぬ宝 耳ぬにゆあきてぃ 肝にとぅみり”
この琉歌をご存知だろうか。琉球五偉人の一人程順則(ていじゅんそく)によって詠まれた『琉球いろは歌』の一首だ。
何かとストレスを抱え込みがちなご時世、今一度程順則の偉業と彼の読んだ琉歌を紐解くことで心の浄化をしてみようではないか。
中国から持ち帰った6つの教え
村屈指の名門「程氏」の一族に生まれ、若い頃から中国語の通訳として類稀なる能力を発揮し、出世を果たしながら4度に渡る清国(今の中国)留学の経験を経て、琉球のみならず日本全国へも大きな影響を与えた人物だ。晩年は名護間切の総地頭に任命され、人々から慕われつつその地で生涯を閉じたことから、「名護親方」や「名護聖人」としても知られている。
現在では名護のゆるキャライメージにもなっており、今なお地元の人に親しまれている人物だ。生前の偉業はいくつもあるのだが、特に顕著なものとして「六諭衍義(りくゆえんぎ)」の啓蒙普及がある。六諭衍義とは、中国の皇帝が民衆を教育するために諭した「人が人として生きるため守らなければならない6つの教え」である。
- 孝順父母(ふぼにこうじゅんなれ)父母に孝行しなさい
- 尊敬頂上(ちょうじょうをそんけいせよ)年上の人を敬いなさい
- 和睦郷里(きょうりはわぼくせよ)村里にうちとけ仲良くしなさい
- 教育子孫(しそんをきょうくんせよ)子孫によく教えを導きなさい
- 各案整理(おのおのせいりにやすんぜよ)各々の生業やなすべきことを全うしなさい
- 毋作非為(ひいをなすなかれ)悪いことはしてはいけない
程順則が20歳で初めて中国に留学した際、儒学の師匠・竺天植(じくてんしょく)が手にしていた本「六諭衍義」と出会い大いに感銘を受けた。4度目の中国渡航の際に自費で大金を払い、ようやく「六諭衍義」を印刷して琉球に持ち帰り、王府へ献上したと言われる。
今では当たり前の教訓に思えるが、今よりも遥かに無秩序な時代に「人間としての正しい在り方」を広く普及させ、誇りある琉球人を育てようと尽力したのが程順則だったのである。
程順則は薩摩藩にも六諭衍義を贈っている。すると薩摩藩から時の将軍・徳川吉宗にも献上され、吉宗はこれを高く評価し寺子屋の教育に活用させた。日本全国の初等教育において、初の道徳本「六諭衍義」が広く活用されるようになったのである。今では「おもてなし」の心が世界から賞賛される日本、もしかすると程順則が琉球に根付かせた「うとぅいむち(思いやり)」がその原点なのかもしれない。