戦後北谷ヒストリー① 劇的な変貌の裏側

 

 地元の若者や世界各国からの観光客が集まる県内屈指の人気エリアとなった町「北谷」
 中でも美浜地区は、80年代の沿岸部海域埋め立てによって誕生した新しい街であり、現在もなお開発が進められている成長エリアで沖縄県民にとっても身近な存在ではないだろうか。しかし、北谷町がこれほど急激に目覚ましい発展を遂げた裏には、何らかの理由が隠れているはずだ。
 その知られざるヒストリーをリサーチしてみよう。

小さな町は大きな村だった

 北谷町といえば、比較的面積の小さい町というイメージがある。

 土地の広さは、県内41市町村の中で第35位と実際に小さいのだが、お隣の嘉手納町同様、町内に横たわる広大な米軍基地があることもそんなイメージに影響しているのかもしれない。戦後70年以上が過ぎた現在も、キャンプフォスター、元海軍病院のあったキャンプレスター、そして嘉手納基地と、実に町面積の50%以上を米軍基地が占めている

 しかし琉球王朝時代の北谷は「北谷間切」という今よりもはるかに広範囲に及ぶ行政区だった。野國総管で有名な野國村や千原エイサーで有名な千原、軽便鉄道最北の駅「嘉手納駅」もあり、現在の嘉手納町自体も戦前までは北谷村の一部だったのである。

次ページ:

1

2 3

関連記事

おすすめ記事

  1.  サッカーJ3のFC琉球が、第2次金鍾成(キン・ジョンソン)監督体制下の初陣を白星で飾った…
  2. 今季から琉球ゴールデンキングスに加入したアレックス・カーク(左から2人目)やヴィック・ローら=16…
  3.  FC琉球の監督が、また代わった。  サッカーJ3で20チーム中18位に沈む琉球は1…
  4. 戦前に首里城正殿前に設置されていたバスケットボールゴールを再現した首里高校の生徒ら=8月27日、那…
  5.  8月12日、浦添市のアイム・ユニバースてだこホール市民交流室は熱気が渦巻いていた。ステー…
宮古毎日新聞

特集記事

  1. 再びFC琉球の指揮を執ることになり、トレーニング中に選手たちに指示を送る金鍾成監督=19日、東風平…
  2. ヴィック・ロー(中央)の入団会見で記念撮影に応じる琉球ゴールデンキングスの(左から)安永淳一GM、…
  3. 沖縄県庁  沖縄県は、地域の緊張を和らげようと、4月から「地域外交室」を設置し、照屋義実副知…
ページ上部へ戻る ページ下部へ移動 ホームへ戻る 前の記事へ 次の記事へ