戦後北谷ヒストリー① 劇的な変貌の裏側

 
海沿いの滑走路が伸びる一帯がハンビー飛行場だ (1977年)

 また、戦前は北谷村を代表する農作地帯であったため、当時は軽便鉄道もこの中心部を走っており、現在もその名残を示す「軽便橋」が普天間川に掛かっている。

普天間川にかかる軽便橋。軽便鉄道はこのあたりを走っていた

飛行場を浮かび上がらせる川

 都市化が進んだ今日では、どこからどこまでがかつてのハンビー飛行場だったのか見当が付きにくいが、北谷を流れる川を基準に見てみると分かりやすい。ハンビー地区は海に飛び出る出島のような地形になっており、両端を川と川に挟まれている。
 その一つが普天間川だ。宜野湾からバイパスを通り北谷に向かう際、58号線ではなく伊佐裏側の海沿いの道を通ると、欄干にステンドグラスが施された「ニライ橋」が見えてくる。

この「ニライ橋」から先がハンビー飛行場だった

 この橋の下を流れるのが普天間川で、一つ上流に軽便橋が架かっている。ニライ橋を渡った後、アラハ公園入り口を横目に通り抜け北谷ドーム手前まで走ると、美浜橋の掛かる「白比川」がある。
 ちょうどこの二つの川の間、奥行きは海から58号線まで。この土地全てがハンビー飛行場だったのだ。

現在のハンビー地区

 アラハ沿岸を歩いてみるとより分かりやすい。かつてハンビー飛行場だった敷地の端から端まで遊歩道が整備されている。実際に「ハンビー」という住所は無いが、ハンビー地区の郵便局は「ハンビー郵便局」という局名になっている。カタカナ表記の郵便局は全国でも珍しいという。

 小さい町でありながら劇的な変化を遂げている北谷町、これまでの歴史を知るとそのイメージがだいぶ変わるのではないだろうか。

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池村 純

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沖縄情報英字ウェブマガジン Okinawanderer、外国人向けライフスタイルサイト Okistyle を運営する(株)琉球プレスの代表。日々外国人と民間業者および県民との接点を作り出すコーディネーター、コンサルタントとしても活動。2018年より毎週火曜日午後7時台エフエム沖縄『Share TIME』にボス・イケムラとしても出演し、沖縄の隠れた魅力を発信中!

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