“沖縄に出会い直す”90年代生まれの言葉たち 「あなたの沖縄」25日にイベント

 

 90年代生まれの世代を中心に、それぞれの場所から眼差した沖縄を言葉で紡ぐ「あなたの沖縄|コラムプロジェクト」。親戚付き合いから沖縄料理、ヒヌカン、ユタ、沖縄言葉といった生活文化から、選挙や米軍基地にまつわる話まで、沖縄を巡る様々な角度から個人的な思い出や体験が集められ、毎週欠かさず更新され続けている。
 主宰しているのは那覇市出身で、現在は東京在住で会社員をしている西由良さんだ。コラムを執筆し、沖縄への思いを言葉にすることで「沖縄に出会い直している」と西さんは語る。3月25日には『わたしが沖縄を発信するワケ』と題した初めてのトークイベントを那覇市のOUTPUTで開催する予定だ。
 コラムプロジェクトを始めた経緯や沖縄という場所への向き合い方、沖縄への思いを表現することについて西さんに聞いた。


「あなたの沖縄|コラムプロジェクト」を主宰する西由良さん

安心して「沖縄」を話せる場所を

 ――「あなたの沖縄|コラムプロジェクト」は2021年から取り組んでいるそうですが、始めたきっかけと、コラムという形にしたのはなぜなのかを聞かせてください。

「復帰の年に何かやりたいと考えてる時に父(ボーダーインク編集者の新城和博さん)のインタビューが新聞に載っていたんです。それを見て、沖縄戦とか、アメリカ世とか、復帰とか、社会的に大きな出来事や変化があった世代の人たちの言葉はよく聞くけれど、自分たちの生まれた90年代・平成の時代にも沖縄では色んなことがあったのに、あまり語ってる人の言葉を聞くことがなかったなと思ったんです。だから、自分と同世代の人たちの言葉を聞きたいと思って、90年代生まれで括ってコラムを書いてみようと。
 私たちは沖縄に対する『青い海』『青い空』とか、そういったイメージが確立した沖縄ブームの後に育ってきました。そのイメージと自分たちが感じている“生の沖縄”は何か違うなって思いつつも、その中で生きています。そんな感覚から『沖縄ってなんだろう』と考えた時に、自分たちが言葉にすることで沖縄の輪郭が新しく見えてきたらいいなと思ったんです。そのためにコラムという形式にしました。書いてくれる人たちには『そんなこと誰が経験してるの!?』みたいな超個人的な話とか(笑)、それぞれの目線で見た時の沖縄を大切にして書いてほしいということを伝えています」

 ――今回トークイベントを開催しようと思ったのはどうしてですか?

「コラムはWeb上で始めた活動で、最初は気心の知れた友人たちを誘っていたんです。でも執筆してくれる人が少しずつ広がる中で、こんなに書きたいって言ってくれる人がいるんだという発見もあったし、繋がりたいと思っている人がいるんだなとも感じました。沖縄について何か考えたり、誰かと話したい時に、安心して話せる場所があればいいなとずっと考えていたんですよね。執筆者同士を繋げた座談会も何度か経て、これから外の世界に開いた場所を作れないかと思って、今回のトークイベントを企画しました」

 ――読んだ人からの反響もあると思うんですけど、コラムの執筆・発信をするようになって何か見方が変わったことや感じたことはありますか。

「当たり前の話かもしれませんが、自分が見てた沖縄って本当にほんの一部だなということをすごく感じました。私が最初に書いた親戚回りについての文章では、よく父と親戚回りをして、色んな人から色んな話を聞けるから親戚付き合いが好きだったことについて書いたんです。でもその一方で、匿名で書いてくれた糸満の方が『親戚付き合いが嫌い』と綴ったコラムもあります。同世代で生きてる時間も場所も同じなのに、見えるものってこんなに違うんだっていうのは、単純に面白いと感じました」

 ――コラムをいくつか読んでみて、何というか1人1人の「市民目線」だなと思いました。書いた人の息づかいを感じるし、新聞やテレビなどのメディアでは伝えられない角度・視点だと思います。

「最初は真面目な話が多くなっちゃうかな、と思ってたし、私自身もすごく真面目な話ばかり書いてるんですけど(笑)。でも、笑い話とかほっこりする話とかもみんなに書いてほしかったんですよね。私たちの日常が全て悲しい出来事や辛い出来事でできてるわけじゃないですし。でもその個人個人の体験した面白い話の中にも、沖縄社会がちょっと透けて見える。もちろん生活の延長線上に基地の話もあります。自分たちが生きてきた時間は過去と繋がっているし、周りに少し目を凝らすと色々と考えるきっかけもある。それを言葉にすることで沖縄に出会い直していく感じがしています」

祖母の一言と東京で感じた無力感

 ――大学生になって上京したということですが、東京と沖縄とで感じるギャップみたいなものはありましたか?

「皆そうだと思うんですけど、やっぱり沖縄を出てからの方が自分の家とか沖縄のことを考えるので、沖縄ってやっぱり面白いんだなというのを再発見しました。高校生の時はそんなに父の本を読むことはなかったんですけど、大学生になって読んだら『沖縄って面白い』と感じましたし、東京に来てからの方が『沖縄について何かやらなきゃ』という思いが強くなったかなと思います」

 ――その思いが強まった直接のきっかけってありましたか?

「色々と積み重なってじわじわ強くなってきた気がします。最初のきっかけはコラムにも書いた、おばあちゃんが集団自決の生き残りだったという話ですね。小さい頃から戦争の話を聞いていて、ちょっと体調が悪くなった時に祖母が『何で生き残ったのかね』ってポロッと言ったことがあったんです。そんな祖母の体験や記憶を忘れないように、渡嘉敷島であった集団自決を描いた映画を撮りました。でも映画だけでは終われないな、っていうモヤモヤとした気持ちがずっと引っかかってたんです。
 東京のテレビ局で3年間働いて報道番組のディレクターをしていたのですが、東京のメディアだと首里城の火災とか、何か大きい出来事がないと放送されない。辺野古の埋め立てが始まった時、担当の番組でそのニュースが出る時に私はちょうどスタジオにいたんですよ。CMに入るタイミングを知らせるカウントダウンをしている時に、ヘリからの映像を目の前にして、何もできないんだ…という無力感というか、虚しさもあったし、その時に『今自分が感じている怒りとか悲しさとかって今このスタジオにいる人の誰にも伝わらないんだな』と思いました。
 東京に出てきて、沖縄で何か事件事故があったり、慰霊の日のようなメモリアルな時期になると、自分の周りには分かってる人がいなかったので、少しでも分かって欲しいっていう気持ちがあったからコラムプロジェクトを始めたのかもしれないですね」

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