那覇と小禄に狭まれた「山下町」は歴史の宝庫だった
- 2021/9/13
- 社会
由来には諸説あり、その一つはこうだ。
その昔、中国へ渡った琉球人がプーンプーンと音を出して飛ぶ虫を珍しがり、琉球に持ち帰った。那覇港に降りたったところで誤って蚊を逃がしてしまい、蚊は小禄に抜ける坂道を飛んで行ってしまった。そのことから、この坂を「がじゃんびら」と呼ぶようになったという。
別の説では、山下から小禄へ抜ける坂道の前には我謝という人物が住んでおり、「我謝の坂」で「がじゃんびら」となったというのもある。
こうしてみると「がじゃんびら」とは地域名ではなく山を抜けるための坂道のことを表していて、現在の331号線にちなんだ名前だったというわけだ。公園高台から那覇を見渡す景色は素晴らしく、返還地の名残なのか、都会にありながらゴツゴツした岩肌がそのまま残っており、ワイルドさも感じる。
ちなみに、がじゃんびら公園の展望広場の真下あたりには「住吉神社」が祀られているのだが、これはいわゆる日本の住吉神社ではなく、現在軍港に接収されている那覇市「住吉町」に纏わる神社である。
元々は儀間村(現住吉町)の儀間真常が海上守護の神として祀った神を那覇港南の屋良座森に遷し、後に人々から住吉森と呼ばれ崇められるようになるも戦争で消失。戦後は土地を米軍に接収されたため、他のいくつかの御嶽とともに隣の山下町へ遷座し現在に至るとのことだ。
これだけ小さなエリアに、こんなにも濃密な歴史が詰まった山下町。歩いても十分回れる距離なので、ぜひ歴史散歩を楽しんでみて欲しい。