『自立自尊であれ』 仲井眞弘多元沖縄県知事が振り返る県政
- 2021/8/1
- 政治
「私の県政の8年間というのは、辺野古の埋め立てを承認したことばかりではないと、知ってもらいたいと考えていました。むしろ私が力を入れて取り組んだのは、経済政策や産業政策です。全国で最も高かった失業率など立ち遅れた沖縄の経済をどう良くしていくか。そうした取り組みをきちんと記録に残しておきたいと考えたのです」
そう語るのは、沖縄県の仲井眞弘多元知事である。このほど2006年から2014年までの2期8年におよぶ県政運営を仲井眞氏が振り返り、それを県庁OBやマスコミ関係者ら5人がまとめた『自立自尊であれ』(幻冬舎ルネッサンス新書)が出版された。仲井眞氏の言葉の通り、本書は経済政策に多くの紙幅が割かれている。
失業率の改善は産業を興すことで
沖縄戦や米軍による統治を経て沖縄が復帰したのは、本土では高度経済成長期が終わらんとする1972年のことだ。経済成長の波に乗ることができず復帰後も経済は立ち遅れたままだった。
本書で仲井眞氏は自らが知事に就任する前の沖縄をこのように振り返っている。
<復帰後の沖縄県は経済成長の恩恵を受けられず高い失業率に悩まされ続けていました。産業基盤や生活基盤、教育、福祉、人権などハード・ソフトを問わず、全ての面で立ち遅れが目立ち、歴然とした「格差社会」だったのです>
沖縄では高い失業率が続き、復帰から30年近くが経った2000年前後になっても9%近く。知事となった仲井眞氏は、「産業を興せば沖縄の失業率は必ず改善できる」との「シンプルな思考をもとに失業率の改善に取り組んだ」という。
そのために仲井眞氏が進めたのは、企業の誘致である。本書では、トヨタやパナソニック、デンソーなどといった製造業大手だけでなく、訪米した際には西海岸にあるIT関連企業などにも沖縄への誘致を呼びかけた経緯が語られている。
そうした企業誘致は容易には身を結ばなかったが、大きく進展した構想もあった。全日空による貨物ハブである。
「那覇空港に貨物ハブを設置したい」
全日空の大橋洋治会長からそう提案を受けると、仲井眞氏はすぐさま県庁内でも英語が堪能で海外企業とも交渉できる人材を担当にあて、空港を管理する政府とも調整を進めた。貨物ハブが実現すれば、沖縄の農林水産業の生産品を各地に送り出すことが期待できた。さらに、携帯電話のリペアセンターをあわせて誘致しようと米国の携帯電話修理を専門とする企業を誘致しようと自ら出向いたこともあったと本書で明かす。
貨物ハブをきっかけに連携が深まった全日空からは、さらに航空機の整備拠点を那覇空港に置きたいとの提案があり、これは2015年にMROジャパンの立ち上げへと実現した。全日空だけでなく、アジアのエアラインの機体の整備まで行うようになった。