初の五輪競技となった空手 喜友名涼選手の活躍に期待

 
喜友名涼選手(2020年12月全日本空手道選手権大会)

 東京オリンピックが始まりました。コロナ禍の状況で開催が危ぶまれましたが、一年の延期を経ての実現です。1964年以来57年ぶりの日本での開催ですが、初めて空手が競技に加わった記念すべきオリンピックでもあります。1922年に沖縄から上京した船越義珍が本格的に空手の普及を始めて100年後、ついに空手はスポーツ最高峰のオリンピックの競技となったのです。空手の源流である手(ティー)と呼ばれていた時代の佐久川寛賀、松村宗棍、糸洲安恒らの長老達なら令和の時代に行われる競技をどう思うでしょうか。

 オリンピック初競技となる空手は、形競技と組手競技の2競技・全8種目が行われ、日本をはじめ世界37か国から全82選手が出場します。

 まず、形は男子11名と女子10名が出場します。そして、組手は世界各国から、男子67kg級に11名、75kg級に10名、そして75kg超級には10名が出場します。女子は55kg級に10名、61kg級に10名、61kg超級に10名が出場します。このうち、日本からは全種目に合計で8名が出場します。

 オリンピックの空手競技は空手発祥の地・沖縄で開催との案もありましたが、東京の日本武道館で行われます。

 そもそも、空手がオリンピック競技に至るまでは長い年月と紆余曲折の連続でした。空手が本土に伝わり、各流派がまとまり試合大会を開催していくべく全日本空手道連盟が発足したのが1964年のこと。1969年に第1回全日本空手道選手権が行われ、空手の世界組織である世界空手連盟の第1回世界大会が1970年に東京の日本武道館で行われました。

 全都道府県にそれぞれの全日本空手道連盟に加盟する組織が出来ていきますが、実は沖縄県での発足は1981年と早くはありません。それ以前の1967年に既に沖縄伝統空手を守り伝えていくことを目的に全沖縄空手道連盟が発足していたのです。

 沖縄県で全日本空手道連盟の組織団体たる沖縄県空手道連盟が発足したのは、1981年に滋賀県であった国体で空手が正式種目となったためです。本土からの要請で設立されましたが、この時には沖縄空手界の組織が分裂、混乱するという出来事もありました。

 1987年には沖縄で海邦国体が開催されてからは、沖縄でも空手の競技大会が開かれるようになります。その後、沖縄県からも競技スポーツとして多くの空手選手が活躍することになります。

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