人間の「差別」の幕は降りないのか 『喜劇 人類館』
- 2022/11/20
- エンタメ・スポーツ
1903年に大阪で開催された「第5回勧業博覧会」会場近くの見世物小屋で催された「学術人類館」をモチーフに、沖縄の戦前から戦後にかけてのあゆみを、風刺を交えて描き出す演劇作品『喜劇 人類館』(作・知念正真)が11月3~6日、那覇市文化芸術劇場なはーとで上演された。客席は各日ほぼ満員状態で埋まった。
今回は初の試みとして、演出を劇団「青年劇場」の佐藤尚子さんと作者・知念正真さんの娘のあかねさんが共同で務め「女性の視点」を織り込んだ。舞台上で表現される100年以上前に起こった出来事で表出した「差別」の眼差しは、2022年の今現在の観客にも生々しい実感とともに問いを投げかけてきた。「歴史は繰り返す」という言葉の意味を何度も噛みしめざるを得ない、余韻の長い公演となった。
“陳列”される琉球人たちのコメディ
学術人類館ではアイヌや台湾先住民、朝鮮、清国、などの人たちと一緒に琉球の人が「人間の展示」として見世物にされたことが問題になり、社会的な関心を集めた。演劇作品ではその当時の見世物小屋を舞台に、“陳列された男女”と“調教師ふうな男”の3人が繰り広げる「ブラック・コメディ」だ。
ステージには沖縄をイメージさせる細かい小道具が無造作に配置され、「リウキウ チョーセン お断り」と記された看板。狭い部屋に“陳列”された琉球人の男女(仲嶺雄作、今科子)を尻目に、これみよがしに青と赤が強調された衣装を身にまとった調教師(西平寿久)が「差別は決して許してはならないのであります。…人類普遍の原理であります」と前口上を高らかに流暢に述べる。
が、これは戯言に過ぎず、鞭を手にした調教師は琉球人の2人に高圧的に接し、そしてひたすら差別的に扱う。調教師がステージから姿を消すと、耐えかねたように調子よく小言を並べる陳列された男。女は呆れたような視線を向けつつ、2人はコミカルなやりとりを重ねていく。
「簡単に幕は降りない」
笑いが起こるシーンも織り込まれてはいるが、戦前、戦中、戦後、時空が入り乱れて登場人物それぞれの過去が薄皮を剥いでいくように徐々に明らかになってくると、自分がいつどこにいて、どういう立場で「笑うという行為」に及んでいたのか、気づけば鋭い問いの切っ先を突きつけられているような心持ちになる。
印象的だったのは、“差別されていた側”があまりにも容易に“差別する側”に取って代わることを明示したラストシーン。その様子を、「陳列された女」が高い場所から無言で見下ろす状況で、舞台は終幕を迎える。上演自体は終わったが、幾多の“モヤモヤ”が頭を駆け巡り、余韻はしばらく終わりそうにない。
正真さんは戯曲の最後のト書に「いずれにせよ、そう、簡単に幕は降りないだろう。何故ならば『歴史は繰り返す』ものなのだから…………」と書き込んでいる。このテキスト通り、沖縄でも、日本でも、そして世界中でも「差別」という行為には全く幕が降りる兆しは無い。どころか、その風潮が強まっているとさえ感じるようなことが多々起きている。
この作品の射程はまだまだ伸びていくし、むしろ時間を経るごとにある種の生々しさを増していくのではないか、そんなことを感じる演劇体験だった。