【慰霊の日】沖縄ではタブー視されない「平和の歌」知花竜海インタビュー

 

「自分の中の沖縄を補いたい」

 自身も「DUTY FREE SHOPP.」名義で、失われつつある沖縄の自然や文化について歌った「カーミヌクー」(2001年)や、ラッパーのカクマクシャカとコラボして沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落をテーマに歌った「民のドミノ」(2004年)をリリースした。

「沖縄、生まれ育ち愛してやまないこの島」「無くしていいばー?我した島言葉」「捨て石奴隷Human Rights」―。

 知花さんは読谷村で育ったが、母親が県外出身だったため、学校で同級生らに「ないちゃー(内地人)」と言われ続けていた。そこから「自分の中の沖縄を補いたい」という思いが強くなり、沖縄のことを人一倍意識するようになった。音楽を通して沖縄に関するメッセージをぶつけてきたものの、本人の思いとは裏腹にこんな噂が独り歩きするようになった。「あいつは基地問題で売名している」―。

 本人としては、沖縄で生まれ育ったミュージシャンとして、歌やラップに乗せて、沖縄のためにメッセージを込め、一緒に沖縄を考えたいという思いだった。

「どうしても色がついて見られることが多くて、このイメージを突破できませんでした。メディアもどうしても“反基地ミュージシャン”みたいな取り上げ方になってしまって。ただ、自分としてはどういう形であれ曲を聴いてもらえるならメディアに出た方が思っていたんですが、レッテルを貼られたような状況になっていました」

“友好”が沖縄の生き抜く道

 こんなことも言われた。「アメリカ人が嫌いなのか?」。

「アメリカ人が嫌いでロックやってるわけないだろう!ですよ」と知花さん。沖縄大学卒業後は、中国・北京で語学留学した。「国と国の問題、例えば尖閣の問題は、わったー(我々)がどうにかできる問題じゃないんですよ。だけど『とりあえずアメリカ人でも中国人でも友だちにならないといけないだろう』と。そうじゃないと沖縄みたいな小さい島は一発で吹っ飛ぶんだから、それを防ぐためには“友好”しかないだろうと思いました」

 その後、北京市内の大学構内でギターを弾いていたところ、ギタリストの中国人学生に声を掛けられ日中混成の4人組バンドを結成。「品味期限」として活動し、日中交流イベントで演奏したり、楽曲が沖縄県内の専門学校のCMソングにもタイアップされたりするなど、音楽で両国の市民レベルの懸け橋となっていった。

バンド「品味期限」 右端が知花さん(知花竜海オフィシャルサイトより)
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