《公園》の下で「うちがわ」に向き合う〜石川竜一写真展「いのちのうちがわ」レビュー
- 2021/4/12
- 社会
「罪」の背後にある美しさ
ここで、多くの人が当たり前に肉を食べる生活をしているにもかかわらず、なぜ内臓をグロテスクに感じてしまうのか(沖縄では中身汁を日常的に食べるので抵抗が少ない人も多いかもしれないが)について考えてみたい。人間を含めた動物が生きるためには、植物を含めた他の生命をあやめながら食物として取り込み、自分の肉体を維持することが必須だ。
他の生き物への加害という、避けられない「罪」を犯しながら日々を生きているはずの私たちが、普段はその罪に意識を向けずに生活することができているのは、生き物を殺すことを他人に任せ、外部化するシステムの中で生きているからだと言える。それゆえに、生死の問題を直接的に突きつけられたような抵抗を感じてしまうのではないだろうか。
この展覧会は、そうして「外部化」して見えなくなってしまった避けられない罪に向き合い、その加害性や居心地の悪さの背後に秘められた美しさを発見する機会を提供してくれている。
「うちがわ」から見えるもの
また、この展覧会の会場である商業施設「MIYASHITA PARK」についても触れておきたい。東京都の渋谷駅にほど近い宮下公園は、かつてホームレスが多く住み、お金のない若者がたむろするあまり治安のよくない場所であり、その一方で渋谷ならではのストリートカルチャーを支える重要な場の一つであった。2000年代の前半から、スポーツウェアの企業と渋谷区の共同で整備が進められ、その中でホームレスが排除されたり、有料のスケートボードパークが設置されたりするなどの「浄化」が進められてきた。
その後、2018年にはリニューアルのために公園は完全に封鎖され、オリンピックが開催されるはずだった2020年には公園跡地に世界トップレベルのハイブランドショップが並ぶ商業施設とホテルがオープンしたため、公園はその屋上に移設されることとなった。
公園とはいっても、そこでかつて育まれたストリートカルチャーは漂白されて、窓口でしっかりと手続きをして数百円の利用料を払った人だけが使えるスケボーパークなどが残され、有名デザイナーがプロデュースしたコーヒーチェーン店がそびえ立つ空虚な空間となってしまっている。また、行き場を無くしたホームレスたちのために、炊き出しは近隣の別の場所で引き続き行われている。