玉泉洞の全容発見者・山内さん 世界1500洞窟巡る

 

“洞窟エリート”としての血筋

 山内さんは、洞窟エリートだ。父・浩さんは愛媛大学教育学部教授・学術探検部の研究者で、日本三大鍾乳洞の一つとされる龍河洞(高知県)を発見した“洞窟探検のパイオニア”。自身も同じ大学の同じ部活に入ったが、当初は洞窟探検に興味がなかった。本当は囲碁部に入ろうと思っていた。「あの山内教授の息子が愛媛大学に入ってきたぞ」と、先輩に半ば強引に入れられたのが全ての始まりだった。
 
 山内さん自身が自分の意志で行った探検としては、大学1年のゴールデンウィークに訪れた四国カルストが最初だった。そこからのめり込んでいくのに時間はかからなかった。
 「洞窟はいろいろ面白いことがいっぱいあるけどね、何と言っても新発見が多いからですよ。山はなんだかんだ誰かがすでに行っているけど、洞窟には誰も知らんような世界があるじゃないですか。それですよ、魅力は。それ以外ないですよね」

洞窟探検の「全国制覇」を目指して

 山内さんは大学1年の2月に調査隊のメンバー17人の一員として琉球列島を訪れ、同年3月に本格的に洞窟の学術調査を開始した。メンバーは離島も含めた沖縄各地にバラバラに散って調査をしたため、玉城村(当時)で調査を継続していたのは山内さんと、同級生の小田さんの2人だった。
 「1カ月で1850m測量しました。図面を作ったら、地元での言い伝えとほとんど一致していたんですよ。なので、この時点では新発見ではないんだけどね」。当時は玉泉洞という名称ではなく「宇和川壕」、通称「ゥワーガー」と呼ばれていたという。

 それから沖縄が日本本土復帰した1972年、山内さんは洞窟の専門家として沖縄に招集されることとなる。沖縄県内で全国規模のケイビング(洞窟体験)大会を実施し、目玉コンテンツを作り出すためだった。
 県庁職員でもあり、学術調査当時に、身元引受人として世話になった男性からこんな声がかかっていた。「どうにかして洞窟を観光資源にしたい」。山内さんが24歳の時だ。本人としては休学を積み重ねて、当初から11年間大学に在籍するつもりだったので、まだ愛媛大学学術探検部のメンバーだった。
 「当時は800近い日本の洞窟に入っていましたから、(一部の洞窟には入っていたものの)周り尽くせていないのが沖縄の洞窟ぐらいだったんですよね。全国制覇を目指していたんですよ。復帰で世の中が変わっていくのを見ているのが楽しくて、そのまま住み続けていました。大学にも行かないで」

 目玉コンテンツとなる洞窟。山内さんの脳裏に浮かんだのは、大学1年時に1850mまでは調査を終えていた宇和川壕だ。ほどなくして調査が再開された。「絶対に全体で5kmはあると思っていました。周辺の地形を見ていると分かるんですよ」
 それからさらに奥へと進んでいった結果が、記事冒頭の、地底湖にダイブした場面だ。1974年夏ごろの話だった。山内さんは文字通り前人未到の地に到達したことから、この時点を正式な「玉泉洞の発見」と位置付けている。「学術探検部の一員として行っているので、(当時の部長である)父の功績と認識されている部分もありますが、実はあれは私が発見者です」と笑う。
 現在は本部町のとある洞窟を調査中だという。「そのうち新聞とか賑わせると思いますよ」と含みを持たせた。

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