慰霊祭で犠牲者悼む 幼稚園不発弾事故48年

 
不発弾爆発事故から48年、平和を祈る慰霊祭が営まれた(写真提供・聖マタイ幼稚園)=2日、豊見城市

 那覇市小禄にあった「聖マタイ幼稚園」隣接地で不発弾が爆発し、3歳の女児と作業員ら4人が死亡した事故から48年が経った2日、犠牲者を悼み、平和を祈る慰霊祭が同園で執り行われた。園児と職員ら約100人が出席し、事故当時の職員の話に耳を傾け、平和の祈りを捧げた。新型コロナ感染症対策で、慰霊祭は園児と園関係者のみで営まれた。

 同事故は1974年3月2日に発生した。幼稚園そばの下水道工事現場で、重機が鉄杭(くい)を打つ作業を進めている最中、沖縄戦で旧日本軍が使用した機雷に触れて爆発した。園庭でブランコに乗って遊んでいた3歳の女児(同園に通う園児の妹)や工事現場の作業員を含め4人が死亡し、近隣住民の34人が爆風により吹き飛んだ窓ガラスの破片などで重軽傷を負った。

 日本復帰から2年にも満たない期間で発生した大惨事に県民は騒然とし、あらためて沖縄戦のもたらした「負の遺産」に驚愕(がく)した。

 事故当時、同園は那覇市小禄にある現在の小禄病院に隣接していたが、現在は豊見城市に移転している。同園では毎年3月2日を「平和を祈る日」と定め、証言者を招くなどして、戦争のもたらした悲惨な事故を語り継いできた。

 同園の真栄城美子園長は、自身は事故を体験していないとしながらも「関係者の話を聞くたびに実体験した気持ちになる。悲惨な事故の歴史を風化させてはならない。平和を願う者の一人として、子ども達に伝える義務がある」と話した。

 その上で、「現在もロシアによるウクライナへの軍事侵攻などが起こっているが、このような状態に愚かしさ感じる。『負の遺産』にしかならない戦争を二度と起こしてはならない」と強調した。

(記事・宮古毎日新聞)

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