「ずっと歌ってきたことを歌い続ける」 ディアマンテス30周年
- 2021/3/10
- エンタメ・スポーツ
一味違うコザのライブの記憶
米軍基地が生活に溶け込み、多くの米兵やアメリカ人の出入りがあった沖縄市・コザには70年代のハードロックを基調とする、いわゆる「オキナワンロック」の流れがある。ライブハウス(ハコ)が抱えるバンドが主に当時のロックのポピュラーな楽曲をコピー演奏して観客を盛り上げる、いわゆる“ハコバン文化”が独特の雰囲気を醸し出していた。
トム「沖縄市のライブはハードロックのあの雰囲気があるから、『やれるならやってみろ』という感じで、やっぱり特別な空気があった。何というか“くるされる(ぶっ飛ばされる)”んじゃないか、みたいな(笑)。ブーイングの意味だったのかは分からないけど、米兵のお客さんからビールの缶が飛んできた時もあって。おぉ!やった!って思ったよ(笑)」
ディアマンテスとして活動を始めた頃にちょうど湾岸戦争が始まり、戦地に行く米兵の中にはラテン系の人たちもいた。「まさかこんな所でスペイン語の歌が聞けるとは」と驚きつつも喜ぶ彼らの姿をよく覚えているという。
アルベルト「彼らはラテンのリズムを聞くと体を動かさずにいられないという感じで、とても喜んでいました。中には自分のカウベル(ラテン音楽の打楽器)を持ち込んでステージに乱入してくる人もいて、面白かった(笑)。将軍級の役職の人と一緒に東京までライブに行ったこともあるんですよ」
沖縄市では、ディアマンテスのバンドとしてのあり方を方向付けた、ギタリスト・ターボさんとの出会いもあった。
アルベルト「ターボはSANTANAとか、ハードロックをどっぷりやってきたスキルのあるプレーヤーで、彼と一緒にやる演奏は最高に楽しかった。Tarboがディアマンテスを育ててくれたという面も大きいです」
「譲れないこと」よりも「譲ること」
ディアマンテスで音楽活動を続けてきた中で、何か“譲れないもの”があるかどうか問うと、興味深い答えが返ってきた。
トム「譲れないというより、むしろ譲ることが大事だと思っている。前でパフォーマンスする人をいかにサポートするのかということだね。ベースという立ち位置というのもあるんだろうけど。ディアマンテスだったらもちろんアルベルトが前。俺はアルベルトのボーカルが日本一、いや世界一だと思っていつもやってる」
アルベルト「音楽はコミュニケーションの1つだから、相手の気持ちを大切にしないといけない。もちろん自分たちのプライドもあるけど、一旦引くことも大事なんだと思います。プレーヤーみんなそれぞれに良い所があって、そこをきちんと立てられるようにやってきたつもりですよ。これは音楽に限ったことではないけど、『どうぞどうぞ』という気持ちがないと、世の中おかしくなると思うんです。だから、どんな時でも相手を思ってやれば、楽しくやっていける」
周りの人たちの長所を見出しながらセッションを重ね、そこに自分たちの良さも乗せて相乗効果を生みながら長く音楽を続けてきたディアマンテスだからこそ出る言葉だ。