大宜味出身の「世界の牡蠣王」
- 2020/11/14
- 食・観光
すでに当時、日本式の牡蠣養殖方式も存在していたが、直接海の浅瀬に撒く地蒔式養殖や石に付着させて育てる石蒔式養殖など、時間のかかる割に生産性が良くない養殖方法であったと。そこに宮城新昌は、革命的な養殖方式を生み出すこととなる。
そう、それが牡蠣の養殖といえば今や誰でもイメージする、あの「垂下式」と呼ばれる海中に吊り下げる形の養殖方式。この垂下式養殖こそが、宮城新昌によって生み出された養殖方式だったのだ。
吊り下げることで浅瀬ではなく沖合での大規模養殖が可能となる。さらに海中という縦軸のスペースがグンと増えることで、より効率良くより量産することが可能となった。
この養殖方式はその後も改良が進み、今や全世界各国にも伝わっていると言われる。
牡蠣養殖の適地・石巻
垂下式養殖方式を開発した後、宮城新昌は彼の従兄弟たちと供にさらなる牡蠣養殖の研究・発展を目指し、宮城県石巻市の「万石浦」というプランクトン豊富な巨大な内海に着目。その地にカキ養殖会社「国際養蠣」を設立する。
すると新昌らの思惑どおり、万石浦で養殖された牡蠣は品質も良く、次第に牡蠣の輸出までも手がけるようになる。ここを発端に石巻の養殖牡蠣の存在を全国、そして世界へと広めることになるのである。
1970年代にフランスで起きた、病原性微生物による牡蠣の壊滅的被害の際には、宮城産のマガキ輸入がその危機を救ったとも言われている。それ以来日本、さらには宮城産の牡蠣が世界にその名を轟かせていくこととなる。
今や世界の食用牡蠣のルーツは、8割型石巻産だと言われてもいるとのことだ。
生前から宮城新昌は「カキには滋養がある。豆腐のようにみんなが安く手軽に食べられるようにしたい」と口癖のように話していたという。その飽くなき情熱こそが、このような実を結ばせたのだった。
さらには「誰もが自由に養殖事業を営めるよう、垂下式養殖の技術は特許を取らなかった」とのことだ。なんという寛大さ。ウチナーの誇りではないか。
まさに世界の牡蠣王たる所以である。