JICA派遣教師 文化継承で沖縄とボリビアの架け橋に
- 2020/10/1
- 社会
コロニア・オキナワでは、歴代の派遣教師の活躍から、日本語教育だけでなく、文化やスポーツ、技術や行事などの「ボリビアにはない何か」を「日本の教育」を通して教えてくれるという期待を持たれていると感じたという。それに対し山里さんは、これまでの派遣教師やJICA隊員が行ってきた取り組みを引き継ぐ形で、移住史の学習や将来について考えるキャリア教育に力を入れた。
加えて、自身が専門とする理科教育や地域に求められていた環境教育の視点を取り入れた指導を行う形で、地域に貢献した。その際、講師として日系一世の人を招き入れて、ボリビアに移住してきた当時の状況を話してもらったり、他のボランティアで来ている日本人に将来の夢や職業について講話してもらったりした。
また、日本式の道徳や学活の授業も取り入れ、生徒の意思表示や自己理解をする機会を設けるなど、教育カリキュラムの工夫もしていた。「三線もエイサーもできない、方言もそこまでわからない」と話す山里さんだが、知らないことは生徒たちと共に学び、「自分が貢献できること」を追求しながら、コロニア・オキナワに新しい教育の風を吹き込んだ。
日本語学校に通う子どもたちは年齢を重ねるにつれ、先人たちが「沖縄からボリビアに移民した経緯」や、何もない原野の状態から開拓に励み、伝染病や水害などを乗り越えて現在に至るまでの「歴史の変遷」を学ぶ機会に触れる。このような歴史を誇りに思ったり、祖父母のルーツである沖縄に行きたいと憧れを持ったりする子もいる。また、卒業後に県や市町村の研修事業などでボリビアから沖縄に行き、一定期間を過ごした子は、ウチナーンチュとしてのアイデンティティをボリビアでも残していきたいという気持ちを強く感じるという。
沖縄とオキナワの架け橋に
山里さんは現在、約2年間の任期を終えて、沖縄県内の中学校で教員を務める。
「(沖縄の)教え子たちがコロニア・オキナワや移民の歴史について理解するのは、今は難しいかもしれません。しかし、自分の経験を伝えることで後々、興味のきっかけになるかもしれない」
そう話す山里さんは、給食の時間や学級通信を利用して、ボリビアという国にオキナワがあり言語や文化が残っていること、鉛筆や消しゴムも持てない生徒がいることなど、生きた言葉でコロニア・オキナワについて発信している。現在、新型コロナウイルスの影響で生徒たちに伝える機会がなかなか持てないが、世界各地に多くのウチナーンチュがいること、その中にはウチナーグチを話す人がいること、移民先の人々が乗り越えてきた多くの苦難などを発信していく予定だという。
ボリビアの生徒には日本のことについて、日本の生徒にはボリビアについて発信することができる山里さんは、日本とボリビア“2つのオキナワ”を繋ぐ架け橋となっている。