JICA派遣教師 文化継承で沖縄とボリビアの架け橋に
- 2020/10/1
- 社会
コロニア・オキナワの危機
今もなお日本や沖縄が残るコロニア・オキナワだが、文化の継承以前に、日本語の存続も危機にある。
「日本語だけを話すように努めていたが、必ずしも通じるわけではない。伝えたいことを日本語で言えない子どもたちも多い」と、山里さんは話す。世代を追うにつれ日本語力の低下は否めず、元々は日本の「国語の授業」を日本語で行っていたものが、現在では「語学としての日本語」を教える授業になりつつある。先生や親世代も、子どもたちとの会話をスペイン語でせざるを得ない場面が多々あり、子どもも親や先生も「楽だから」スペイン語で話すことが多いのが現状だ。
日本語や沖縄の文化を学ぶことについて「親が望むから」という理由の子、「日本や沖縄に行きたい」という想いを持って勉強している子、純粋に三線やエイサー、日本語が好きな子など様々だ。しかし、日本や沖縄を直接知らない子どもたちにとって、日本語や沖縄文化を学び続けるモチベーションを維持するのは困難なケースが多い。コロニア・オキナワ内の日系人・県系人の人口が減少し、ボリビア人の人口が増加していることなどから、日本語学校の存続を心配する声も上がっており、同時に派遣教師の存在意義も問われる。
時代の流れとともに風化していく言語や文化、沖縄のアイデンティティ。コロニア・オキナワは今、厳しい現実に直面している。
教育者である自分が、世界を知らない
「生まれも育ちも沖縄で、世界が広いということは漠然とわかっているけど、実際の世界がどうなのかを知らない。(沖縄の)生徒たちが(沖縄しか世界を知らない)僕の言うことに反応してくれるかと不安があった」と山里さんは話す。
「海外に行きたい想いはあったけど、臆病な私は決心がつかなかった。”JICAでの任務”というのが後押ししてくれた」。参加前は、コロニア・オキナワについても、ボリビアについても詳しく知らなかったが、教育者である自分自身の経験を広げたいという想いから、参加を決意したという。