“命の塩”ぬちまーす、需要急増の理由は? 新工場完成で製造能力2.5倍に

 

洋蘭栽培、専売制度の廃止で製法閃き

工場では製塩の過程を見ることができ、解説してくれる職員もいる

 そもそも、なぜこのような独特な製法が生まれたのか。

 1947年6月生まれで、旧具志川市(現うるま市)出身の高安社長。琉球大学で物理学を専攻し、卒業後は南西航空(現日本トランスオーシャン航空)に入社した。その後、退社して当時バブル期で高額で取引されていた洋蘭栽培を手掛けていた時、転機が訪れる。

 1997年1月4日付けの新聞を読んでいて、ある記事が目に入った。内容は、同年4月に国内で長らく続いていた塩の専売制度が廃止され、製造が自由化されるというもの。その瞬間、突如として新事業となる「常温瞬間空中結晶製塩法」が閃いた。創業時から社の独自性を担保し続ける技術である。

 「洋蘭は温室で作るのですが、夏は暑過ぎるから室内を冷やさないといけない。温度を下げるため、微細な霧を出す装置を自分で作って使っていたんです。もともと物理を学んでいた事もあり、海水をこの機械に入れて霧状にすれば、水は空気より軽いから水は蒸発して、ミネラルの凝縮した塩ができるという事がぱっと思い浮かんだんです」

 大学の頃には生命の誕生にも興味を示し、生命科学の本も読み漁っていた。そのため「生命が海で誕生したということで、海から水だけを抜いたものが生命の本質であるということは分かっていました」と振り返る。着想から2カ月後の97年3月に前身であるベンチャー高安有限会社を設立し、98年5月にぬちまーすを商品化、販売を開始。2001年には国内で製法の特許を取得した。

 当初は洋蘭を作っていたうるま市内の高台で製造していたため、購入した中古車にタンクを積んで浜比嘉島へ行き、海水を汲むという作業を1日に何度も繰り返していた。資金繰りは厳しかったが、2006年に中小企業庁から「経営革新計画承認企業」に認定されるなど徐々に知名度が上がってきたこともあり、沖縄振興開発金融公庫から5億500万円の融資を受けることができ、創業から10年目の07年6月には現在の宮城島の「ぬちまーす観光製塩ファクトリー」をオープンするに至った。

75歳、創出意欲衰えず 次はサプリメント開発

健康面や革新的な製塩方法に対する受賞歴は数知れない

 2022年3月には創立25周年を迎え、高安社長自身は同11月に国から各分野で顕著な功績を挙げた人に贈られる「秋の叙勲 旭日単光章」を受章した。現在75歳となるが、創出意欲は衰えを知らない。

 「日本では今でも『塩分は取り過ぎないように』と言われることが多く、塩を食べて健康になるという感覚があまりありません。ですので、私が一線を引退する前にぬちまーすのミネラルを詰め込んだサプリメントを開発しようと考えています」

 「塩で人類を救う」という目標を掲げる高安社長。人口千人にも満たない小さな島から、壮大な挑戦に邁進していく。

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長嶺 真輝

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ながみね・まき。沖縄拠点のスポーツライター、フリーランス記者。
2022年3月まで沖縄地元紙で10年間、新聞記者を経験。
Bリーグ琉球ゴールデンキングスや東京五輪を担当。金融や農林水産、市町村の地域話題も取材。

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