なぜ市街地で良好状態保てた?那覇中心部から戦前の「湧田村」集落跡が出土

 

「このお皿、昔はどの家も使ってたさ」

発掘現場の回りを那覇市役所(左)、沖縄県庁(中央奥)、沖縄県警(右奥)の高い建物が囲む

 22日の見学会は3回に分けて行われ、午後2時半からあった最終回には約30人が参加した。

 発掘現場には屋敷の柱を支える礎石や排水路と見られる溝、石積みの仕切り、石で囲まれた井戸など、そこに屋敷があったことが分かる遺物が多く確認できた。赤茶色の瓦の破片も地面のあちこちで見られ、戦火で破壊されたものと推測される。

 現在は既に新しい体育館が建てられている2020年度の発掘調査現場では、家の高さより10センチほど深く掘られた池の跡や、樹木が生えていたと見られる穴も確認された。案内役を務めた天久さんは「庭や池の遺構が出るのは珍しい」と語る。

湧田焼と見られるお椀(右)と県外産のお椀

 さらに多くの種類のお椀や皿が出土し、同じ柄のものが数十枚セットで出てくることもあったたため、天久さんは「もしかしたら、日常的にお客さんをおもてなしする人が住む家だったのかなと想定しています」と推測した。

 調査現場では皿やお椀、急須など、沖縄でつくられたものと県外産のものを分別して、出土したさまざまな陶器も展示された。高齢の女性は細かい模様があしらわれた県外産の食器を見ながら「昔はほとんどの家がこのお椀を使ってたよ」「これも見覚えあるさ」と嬉しそうに周囲に語っていた。市の担当者によると、戦前は大量生産された県外産の食器は安値で丈夫だったことから、県内でも一定数が流通していたという。

昔の銭貨である「寛永通宝」

 湧田焼と見られるお椀や、江戸時代に広く流通していた銭貨「寛永通宝(かんえいつうほう)」なども展示され、参加者たちは戦前にタイムスリップしたかのような感覚に浸っていた。

 遺構は今後、2020年度に実施した場所と同様に撤去される予定で、報告書にまとめられる。現場には小学校の給食調理場が建てられる。

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長嶺 真輝

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ながみね・まき。沖縄拠点のスポーツライター、フリーランス記者。
2022年3月まで沖縄地元紙で10年間、新聞記者を経験。
Bリーグ琉球ゴールデンキングスや東京五輪を担当。金融や農林水産、市町村の地域話題も取材。

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