史上初!沖縄の大学からプロ野球界へ 仲地投手が中日からドラフト1位指名
- 2022/10/20
- エンタメ・スポーツ
強豪大のエース目にして「プロなりたい」
出身は読谷村。読谷といえば中日の2軍キャンプ地である。なんとキャンプの手伝いもしたことがあるそうだ。その時は「プロって凄いな、大きいな」と思っただけで、大学に入ってからもプロは遠い存在だったという。
そんな彼が「プロ野球を目指したい」とはっきりと言葉にしたのは、昨年の秋。春には既に周りの評価が上がっていたにも関わらず、当人はまだまだ本気ではなかった。大城監督は強豪である九州産業大学のエースの投球を見せて刺激を与えようと考え、九州に連れ出した。すると試合観戦後、初めて「プロでやりたい」と口にした。
「脚」鍛え体重も増量 マウンドでは強気
そこから大城監督は一緒に頑張ろうと決断。部員、家族、みんなを巻き込みプロを目指す仲地投手の手助けをし、嘉手納高校時代にトレーニングとケアを担当していた金城判(わかる)コーチ(42)を招集。投手コーチと共に「脚」を鍛えることから始めた。体重は73キロから83キロへ増量、軸足が試合終盤までブレない強い身体になっていった。
金城コーチは「細くて小さくて汚い投げ方だったけど、これでようやく土台ができた。それでもまだまだこれから。もう伸びしろしかないね。いずれは日本代表にもなれると思う」と太鼓判を押す。
普段の話し方は控えめで、とても優しい。しかし、一旦マウンドに立ったら負けん気が顔を出し、強気な性格に豹変する。共に戦ってきた元キャプテンの岡田尚真選手(22)も「後ろで守っていて、男も惚れるほど格好いい。そしていつもはあのしゃべり方。だからモテるんですよ」と笑った。大城監督曰く「大きい試合でも冷静なんです。今日だってそうでしょ。僕が泣いちゃったのに本人は冷静で。マイペースなのかな。目標がある子は強いよね」。ハートの強さも売りの一つのようだ。
「県内でもプロ目指せる」沖縄の子の目標に
これまで沖縄の大学ではプロ野球選手は生まれないと言われてきた。新たな歴史を切り拓いたことについて本人は、「沖縄県内でも自分次第でプロを目指せると証明できた。僕は沖縄だったからこそ、周りに支えられて助けてもらった。県内で野球をやることが間違いではないと感じている。これからは沖縄県の子どもたちに目標にされる選手になっていきたい。新人王を目指します」と強く言い切った。
運命のドラフト会議が幕を閉じ、沖縄の歴史を塗り替えた男がいよいよ次のスタートラインに立った。来年の春季キャンプ、ドラゴンズブルーをまとった仲地投手の姿を沖縄で見られるかと思うと、今から待ちきれない。
☆仲地礼亜(なかち・れいあ)2001年2月15日生まれ、沖縄県読谷村出身の21歳。小学2年から野球を始め、中学時代は北谷ボーイズに所属。嘉手納高校では1年の夏にチームが甲子園に出場したが、自身はベンチ外。3年夏は県大会準決勝で惜しくも敗退。沖縄大では3年春からエース。身長1メートル77センチ、体重83キロ。右投げ右打ち。MAX151キロ。