キムタツコラム⑬努力して何とかなるなら死ぬほど努力してやるぜ

 

 28歳か29歳のときだったと思いますが、家の電話が鳴りました。「お前の父親、2回目の不渡りを出して逃げたんや。今から家に行くから待っとけ」というだみ声からの電話でした。ついにこの日が来たのかと、目の前が真っ白になりました。さすがにやくざに「待っとけ」と言われて待っているほどアホではありませんので、勤務していた学校に欠勤の連絡をし、車で一日中逃げていました。帰ってきたら、家の玄関や壁に「カネ返せ!」という紙が貼られていました。

 僕が背負った借金は6000万円にもなっていました。大阪の金融会社の事務所を一軒ずつまわりましてね。金融会社と言っても街金ですから、そりゃもうあなた、怖い人たちが待っていらっしゃるんですよ。「お前、どないするねん!」と、僕の顔の1センチ前まで顔を近づけて叫ぶその筋の方々を想像してください。僕は「1センチ僕が前に出れば、こいつとキスすることになるなぁ」なんて思っていました。

 僕が悪いわけじゃないですからね。堂々としていました。ひとりになったときには、これからの人生が見通せずに涙を流しましたし、娘が生まれたばかりでしたので不安との闘いではありましたが、自分が悪いわけじゃないという気持ちが強かったです。父からは「死んで詫びるから」という短い電話がありました。

「努力して何とかなるなら死ぬほど努力してやるぜ」

 堂々としていたのがよかったのか、そもそも鈍感なのがよかったのか、ある金融会社の社長さん(僕には親分さんにしか見えなかった)にスカウトされました。「教師なんか辞めて、俺のところで働かないか」と言われましてね。もちろん断りましたが、彼が借金をまとめてくれて、ずいぶん減額してもらうことになりました。また、担任をしていたクラスの級長のお父さんが弁護士でしたので、相談に乗ってもらったりもできました。

 努力して何とかなるなら死ぬほど努力してやるぜと、僕はいつも思っています。やる気にならないんですよねと、スマホを片手にだらだらしている生徒を見ると、経済的に恵まれている家に生まれてしまったんだろうなと思うことにしています。僕は幸いにして貧乏な家に生まれ、生まれつき体が弱かったことで、ファイティングスピリットが身につきました。理不尽なことがあれば、相手をぶっ飛ばして生きてきました。それが正しかったかどうかはわかりません。しかし、せっかく生まれてきたのです。幸せにならないと嘘です。笑顔で死んでいきたいのです。苦しみながら生き、眉間にしわを寄せて死ぬのはまっぴらごめんです。

 琉球新報の地域感謝祭ではそういう話をしました。皆さん、笑いながら、なかには泣きながら、聞いてくださいました。終わってから72歳のおばあさんが「あなたのファンになった」と声をかけてくださいました。皆さんが僕の絵本を買ってくださいました。やっぱり沖縄は温かい。参加してくださった皆さんに感謝するとともに、僕の話を聞いて「自分もがんばろう」と思ってくださったのであれば嬉しく思います。

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木村 達哉

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作家、関西学院大学フェロー、新潟産業大学客員教授、NPOおきなわ学びのネットワーク理事。オリジン・コーポレーション所属。2021年3月まで灘中学校・高等学校教諭。奈良県出身。沖縄で愛犬さくらと一緒に年の3分の1ほどを過ごし、県内の学校や教育機関で英語授業や講演を行う。
趣味はゴルフ。そのわりに90を切ることができずに苦しんでいる。

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