アジアを股に掛ける災害救助請負人(上)
- 2020/9/7
- 社会
消防署本部長からの電話 意気に感じる
――転機が訪れたのは?
「私は除隊後、篤志家の援助を受けたり奨学金を活用したりして日本にも二度留学し、不動産会社や半導体を売る会社の営業マン、客家語専門チャンネル「客家電子台」で番組制作に携わるなどしながら、一貫して18歳から民間レスキューのボランティアを続けていました。
気が付けば40歳に差し掛かっていてレスキュー隊は“名誉理事長”という名のOB扱いでした。災害救助の現場からはまだ引退したくない。このまま活動を続けられないかと思案していたところに一本の電話が掛かって来たのです。
声の主は桃園市消防署の本部長(現・台湾内政消防副署長)でした。『名誉理事長のままじゃ何もできないじゃないか。桃園市は高度救助隊を目指している。そのためには黄さんの力が必要だ。ぜひともその隊長になって現在の消防組織を刺激してくれ』
意気に感じない訳がないですよね。でも条件を一つ付けました。それは後述するとして、その頃の消防隊員の研修は、年1回の1泊2日の日程でただ予算を消化するためにあるようなもの。訓練のプログラムも定まっておらず、消防士と医師、看護士らが合コンするようなもので、集まって飲んで終わりでした(笑)。日常的にもお酒を飲んでいるイメージが強かったです。これではいけない、なんとか変えたいと思っていたところ、ある日本の番組を見て感動し、決心が付きました」
――その番組とは? (以下、下に続く)